kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

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【高津宮】(こうづぐう)と【谷末社】の「陰陽石」大阪市中央区

【高津宮】(こうづぐう)と【谷末社】の「陰陽石」大阪市中央区



【高津宮】(こうづぐう)は、大阪市中央区にある神社。旧社格は府社で、戦後神社本庁の別表神社となった。難波高津宮に遷都した第16代天皇である仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に、后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀る。


貞観8年(866年)、勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まる。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社とした。明治5年に府社に列格した。


昭和20年(1945年)3月の大阪大空襲によって神輿庫を残して社殿が全て焼失し、昭和36年(1961年)10月に再建された。


古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていた。境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられており、落語の寄席や文楽などが行われている。高津の富亭での寄席には五代目桂文枝一門がかかわっており、文枝最後の口演「高津の富」が演じられたのも「高津の富亭」で開かれた「くろもん寄席」である。文枝が亡くなった翌年の平成18年(2006年)3月、境内に桂文枝の石碑が建立された。


明治32年(1899年)、大阪府が仁徳天皇1500年大祭を高津宮と難波神社で行った際に記念建立した「高津宮址」が大阪府立高津高等学校(大阪市天王寺区)の構内に現存する。


この高津宮の本社裏に谷底のような薄暗い一角があります。その 谷の底に「谷末社」が祭られています。白菊社(草野姫命〈かやぬひめ〉),千年社(大市姫命〈おおいちひめ〉),常高社(大山祇命〈おおやまつみ〉)の三座です。草野姫は大山祇神の妃として多くの神を生みました。大市姫は神大市姫とも称し大山祇神の子です。市場の繁栄を司る神として信仰されています。
谷末社におりる坂の途中に【陰陽石】とよばれる怪石が祭られています。【陰陽石】は生命力や繁栄の象徴とともに豊穣祈願、繁盛祈願に効能があります。






住所:大阪府大阪市中央区高津1丁目(高津宮境内)


アクセス:地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」から徒歩で約810分


高津宮(こうづぐう)は、大阪市中央区にある神社である。旧社格は府社で、戦後神社本庁の別表神社となった。高津宮の本社裏に谷底のような薄暗い一角があります。その 谷の底に「谷末社」が祭られています。


高津宮(こうづぐう)



高津宮(こうづぐう)



高津宮(こうづぐう)の境内に、「高倉稲荷神社」があります。


高津宮(こうづぐう)の境内に、「安井稲荷神社」もあります。




「高倉稲荷神社」と「安井稲荷神社」の間にある鳥居をくぐって下へ降りていきます。




「谷末社」 御祭神;草野姫命、大市姫命、大山祇命





【陰陽石】
女陰や男根に似た自然石は生命や繁栄の象徴と同様に豊穣祈願や商売繁盛祈願の対象として崇敬されている。
*こちらは、「陽石」です。



【陰陽石】
女陰や男根に似た自然石は生命や繁栄の象徴と同様に豊穣祈願や商売繁盛祈願の対象として崇敬されている。
*こちらは、「陰石」です。



【陰陽石】
女陰や男根に似た自然石は生命や繁栄の象徴と同様に豊穣祈願や商売繁盛祈願の対象として崇敬されている。
*こちらは、「陰石」です。


【陰陽石】
女陰や男根に似た自然石は生命や繁栄の象徴と同様に豊穣祈願や商売繁盛祈願の対象として崇敬されている。
*こちらは、「陽石」です。


境内にある「比賣古曽神社」 御祭神;下照比売命



相合坂は、別名縁結びの坂と呼ばれ、男女それぞれ南側と北側から登り、ちょうど頂点のところで出会うと相性がよいといわれている。





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