kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

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【三光神社】(さんこうじんじゃ)大阪市天王寺区

【三光神社】(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神。天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀ります。社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったといわれています。かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていました。
中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の三光宮(現 青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になりました。明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになります。明治41年(1908年)、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」としました。3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」ともいわれます。
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田信繁が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれ、社殿の下に残っています。境内には黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像があります。千田嘉博によると、現在残っている抜け穴は真田信繁がつくったものではなく、真田丸を攻めた前田軍の塹壕の痕跡の可能性が高いといわれています。



所在地 :大阪府大阪市天王寺区玉造本町






【三光神社】(さんこうじんじゃ)に隣接する宰相山公園に「真田山陸軍墓地」があります。
「真田山陸軍墓地」は昔、真田幸村が大坂の陣の時に大坂城の出丸として陣地をつくり、徳川の大軍を迎え撃った古戦場跡に西南戦争、日清、日露戦争から、この太平洋戦争に至るまでの戦没者将兵を埋葬したり、お骨を預かっています。  この墓地の霊堂(納骨堂)の遺骨は約4万3000余柱、墓標は4800柱と清国とドイツ戦病没者10柱が建立されています。終戦までは陸軍の管理に属し、衛兵が配置されて、遺族または特別な関係者だけが出入りを許されるほど、管理が厳重であり、整備も清掃も行き届いて荘厳であったとの事です。この墓地へは北側の宰相山公園の間の坂道を上ります、入ってすぐ左側の一群の墓は日清戦争の頃の主として民間人の墓地です。


住所:大阪府大阪市天王寺区玉造本町