kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に廻っています。

【全興寺】(せんこうじ)大阪市平野区


【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つである「小さな駄菓子屋さん博物館」や子供の遊び場として利用される「おも路地」など、多種多様な施設があり、「大阪のおもろい寺」、「寺のディズニーランド」とも称されている。飛鳥時代、聖徳太子が当時野原だったこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置したのが起源とされる[4][5][6]。寺の名前の由来は不明であるが、この一帯が杭全荘と呼ばれた事から、「杭全を興す寺」から全興寺になったという説がある。薬師堂の建立後、周りに人が住み始め、町を形成していった。これが後の平野郷となる(「平野」という名前は平安初期、この地の領主だった坂上田村麻呂の子の坂上広野(坂上広野麿)の「ひろの」が転化して「ひらの」になったと言われている)。
中世には藤原氏の荘園となり、応仁の乱以降は戦乱に巻き込まれないようにと豪商らが環濠を築き上げ[9]、堺と並ぶ環濠都市として栄えた。大坂冬の陣では徳川秀忠の軍勢が河内路より平野に入り、全興寺の隣にある野堂町会所を本陣にしたと伝えられている。大坂夏の陣により町は戦火に飲まれたが、すぐに再建。大阪大空襲の被害も逃れ、今日もこの一帯は江戸時代からの古い町並みが残っている。全興寺の本堂は天正4年(1576年)に建造され、大坂夏の陣で一部を焼失。1661年に再建されたもので、大阪府内でも有数の古い木造建築となっている。


札所等 :おおさか十三仏霊場 第7番。摂津八十八ヶ所霊場 第39番。
所在地 :大阪府大阪市平野区平野本町4丁目12番21号



「駄菓子屋さんのおばあちゃんの部屋」のぞいてみると。。。。 ☟
                  

「地獄堂」(じごくどう)
西門に入って右手に地獄堂がある。入り口の壁面には「地獄度・極楽度チェック」というコーナーが設けられており、10問の2択の質問に答え、その結果によって地獄行きか極楽行きかの判定がなされる。
堂の中は薄暗く、閻魔大王や2メートル以上ある鬼の像が置かれており、閻魔大王の前にあるドラを叩くと、大王がしゃべり出し、地獄の様子がビデオで映し出される仕組みとなっている。その恐ろしさに途中で泣いて逃げ出す子も多いが、最後は閻魔大王が「こんな所に行かぬよう、悪いことをせず、自分の命を大切に」と諭すという。
地獄堂の設立は1989年。当時は中高生のいじめや自殺が大きな社会問題となっており、住職の川口良仁は何とか出来ないかと考えていた。そんな中、近所の高齢の女性から「昔、親に「悪い事をしたら地獄へ落ちる」と怖い顔で何度も言われ、そのせいで年を取っても悪い事をする気になれなくなった」という話を聞き、それをヒントに江戸時代からあった古い堂を改装し、名前を「地獄堂」と改めた。当初は人が入ると自動ドアで扉が締め切られる仕様だったが、あまりの恐怖に叫び出したり、非常ベルを押したりする人が続出した為、ドアを開けっぱなしにしている。閻魔大王が「命を大切に」と言っているのは、子供の自殺が頻発していた頃であった為だという。



全興寺(せんこうじ) 地獄堂① /Hell hall of Senkouji (temple)


地獄の様子がビデオで映し出される内容は、かなり強烈です。。


「ほとけのくに」
境内の地下には「ほとけのくに」という多数の石仏に囲まれた空間がある。四国八十八箇所霊場から採取した砂を納めた手すりがある階段を下りた所にあり、床には密教の曼荼羅がデザインされたステンドグラスがあり、そこに座って瞑想をすることが出来る。
中では水琴窟の音が聞こえ、周囲には真言宗の開祖である弘法大師像や四国八十八箇所の札所の本尊など約160体の石仏が置かれている。参拝者は曼荼羅の上で瞑想したり、石仏を熱心に拝んだり、おのおのの形で祈りを捧げている。




全興寺 【ほとけのくに】  平野区 / Buddha room of Senkouji(temple)








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