kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に回っています。

「大阪府内の古代寺院をたずねる」

「楽しい古代寺院巡り」という本を図書館で借りて大阪市内の古代寺院の数か所を自転車で廻ったことがあります。本自体はかなり前の1998年版です。この本で実際に、大阪府柏原市と羽曳野市の数か所の寺院、神社に行ってみると、載っている写真の方が当然ながら新しく感じます。この本にはアクセス関係と地図が載っていますが、詳しくないのでグーグルマップなどで事前に調べて行ったほうがいいと思います。自分はいつもネットで検索した地図や画像をまとめてiPadminiかiPodtouchに取り込んで持っていきます。









①高井田廃寺(鳥坂寺) 天湯川田神社


②「鐸比古鐸比賣神社」(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ)


③片山廃寺



④「国指定史跡 田辺廃寺跡」/ 春日神社


⑤野中寺







2016年の夏季に実際に行ったときの写真です。👇



①高井田廃寺(鳥坂寺)  /   天湯川田神社


「鳥坂寺塔跡」
ここは奈良時代に聖武・孝謙帝が巡拝した河内6寺の一つ「鳥坂寺」の塔跡で、昭和36年の発掘調査で塔心礎と雨落溝が発見されました。塔心礎は基壇面よりも深く埋め込まれた地下式心礎で、一辺1.2m、厚さ63cmの花崗岩製。柱穴の直径は底部で50.5cm、深さ15.5cmの円錐形の舎利孔があり、土層の観察から心柱を粘土で巻き、さらに木炭と小石混じり土で互層に埋め立てていることがわかりました。柱穴の大きさや心礎と雨落溝の距離から見て、塔は高さ20mの三重塔で、7世紀中~後半にかけて建立されたものと推定されます。




「式内天湯川田神社」


御祭神;
本殿: 天湯川桁命
東の相殿: 天児屋根命
西の相殿:大日霊貴命
御鎮座
第12代景行天皇19年9月(西暦90年)に勅命により祭祀されたと伝えられている。
祭日 :7月17日 10月17日
天湯川桁命
第11代垂仁天皇の皇子誉津別命は、壮年になっても言葉を話す事ができなかった。
ある日、大空を飛ぶ鵠(ハクチョウの古称)をみて、言葉を話し鳥の名を尋ねられた。天皇は天湯川桁命にこの鵠の捕獲を命じられた。
天湯川桁命は鵠の飛び去った方向を尋ね、遠く因幡の国(鳥取県)にて雌を捕らえ、また出雲国(島根県)にて雄を捕らえて、献上した。
皇子は鵠を大切に可愛がり、以後言葉をよく話すようになった。天皇は天湯川桁命の功績を賞し、鳥取の連(姓のこと)を賜った。


所在地 :大阪府柏原市高井田





②「鐸比古鐸比賣神社」(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ)


「鐸比古鐸比賣神社」(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ)は、大阪府柏原市大県にある神社。延喜式神名帳に記されている式内社で、旧社格は郷社。河内国大県郡(柏原市平野、大県地区)の氏神であり、背後にそびえる高尾山(標高:278m)を神体山・磐座としている。 神社縁起によると創建は成務天皇二十一年(151年)とされるが、実際の年代は不明。 祭神は「鐸比古命」「鐸比売命」。 鐸比古命は垂仁天皇の子であり、「沼滞別命」「鐸石別命」と同人とされる。 和気清麻呂の遠祖であり、鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと岡山県の和気神社のみとされている。


所在地 :大阪府柏原市大県4-6-1








③片山廃寺
「片山神社」の境内にあります。由緒については、奈良白鳳の頃、片山、玉手、円明の三村は大化改新以降の尾張郷で南は加美郷、東は資母郷と接していた。「新選姓氏録・河内の国神別」の尾張連の本拠にあたるそうです。 「片山薬師堂」(場所:片山神社南側)のある場所には古代寺院である「片山廃寺」の塔が建てられていたのだそうです。 薬師堂の庭は、正方形に近く、塔跡として符合する平面形なのだそうです。説明看板に「片山廃寺塔跡」とありますが、薬師堂前に塔心礎、四天柱礎、側柱礎石が並び実物を見る事が出来、以前(大正期以前)は旧状のままの配列が見られたそうで、地下には至る所で瓦片の堆積があるそうです。


所在地:大阪府柏原市片山町10 







④「国指定史跡 田辺廃寺跡」/  春日神社
【春日神社】(かすがじんじゃ)の境内に「国指定史跡 田辺廃寺跡」があります。田辺廃寺は現在の柏原市田辺を本拠地とした百済系渡来氏族の田辺史(たなべのふひと)氏が建てた氏寺と言われています。1971 年の発掘調査によって金堂、東西両塔、南大門などが確認され、薬師寺式の伽藍配置であることが判明しました。東塔の基壇はセン(レンガ状の焼物)を積み上 げたセン積み基壇、西塔と金堂の基壇は瓦を積み上げた瓦積み基壇で、東西両塔ともに三重塔が建てられていたと考えられます。遺跡は春日神社の境内にあり、 瓦などの出土遺物も境内の収蔵庫に展示されています。


所在地:大阪府柏原市田辺1-16-34








⑤野中寺
野中寺(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。別称は中之太子。山号は青龍山。本尊は薬師如来。創建は飛鳥時代。伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。また「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれている。境内に残る礎石から、飛鳥時代~奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明らかで、渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。
創建時の堂塔は南北朝時代までに兵火を受けて全て焼失しているが、境内には中門跡・金堂跡・塔跡・講堂跡・回廊跡など法隆寺式伽藍配置を示す礎石を存留しており、「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されている。
中世までの沿革はあまり明らかでなく、一時期は廃寺に近い状況だったと見られる。現在の本堂は江戸時代初期の寛永~寛文年間(1624年-1673年)に、他の堂宇は享保年間(1716年-1735年)に再建されたものである。
江戸時代には律宗の勧学院として、和泉神鳳寺(大鳥大社境内にかつて存在した)、槇尾西明寺とともに律院三大僧坊として栄えた。 明治時代中期に現在の宗派である高野山真言宗に転じている。






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