kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に回っています。
#Sakamoto119

②【土佐稲荷神社】(とさいなりじんじゃ)大阪市西区 

②【土佐稲荷神社】(とさいなりじんじゃ)大阪市西区


旧社格は郷社。稲荷神として宇賀御魂大神を祀ります。宇賀(宇迦)には「食」の意味があり、食料を司るとされ、こと穀物、農業の生産豊穣を守護する神様です。
また、豊受毘売神(読み方)とも同神といわれており、国の発展に大切な農産守護神であると同時に、すべての生成産業、殖産興業活動の神として、全国的に崇められるようになりました。古くは生、成、産、業の字を『日本書紀』『萬葉集』などでは、ナリと読ませていることから、イナリとは『稲生』の意味とも言われています。


創建の由緒は不詳ですが、江戸時代、土佐藩の大阪蔵屋敷に隣接する長堀川(現在の長堀通)鰹座橋のほとりに神社が祀られていました。この神社に土佐藩第6代藩主、山内豊隆が、京都の伏見稲荷から稲荷大神を観請し、土佐稲荷神社としました。以来、土佐藩邸、蔵屋敷の守護神として崇められ、山内家は参勤の際には必ず立ち寄り参拝するようになりました。明治になって、廃藩置県後、藩営事業を継承した岩崎彌太郎がこの地を取得した後も、三菱の守護神として崇められました。


1868年のフランス兵殺傷事件の折、明治政府がフランス公使ロッシュの要求を容れて20名が切腹することになり、29名の者が、この神社で、籤を引いて決め、翌日堺の妙国寺へ護送されたといわれています(堺事件)。
明治初年、土佐藩蔵屋敷とともに当社は岩崎弥太郎に譲り渡されました。岩崎弥太郎は当地で事業を営み、三菱の発祥の地となる。岩崎弥太郎は社殿の造替を行い、郷社に列格しました。
第二次大戦の大阪大空襲で社殿をほぼ全焼しました。灯籠などが焼けこげているのは、その名残です。境内は江戸時代より桜の名所としても有名で、宝井其角の「明星や桜定めぬ山かつら」の句碑があります。境内の桜は大阪大空襲で全焼しましたが、戦後、若木が植えられ、桜の名所として復活しました。神社の東側に岩崎弥太郎の邸宅跡を示す碑があります。神紋には三菱グループを表す「スリーダイヤ」が入っており、三菱グループを構成する多くの企業が神社を囲む玉垣を寄進しています。第12代横綱陣幕久五郎が寄進した狛狐が現存します。


所在地: 大阪府大阪市西区北堀江4-9
アクセス:大阪市営地下鉄千日前線 西長堀駅から西へ徒歩2分



(備考)本殿の後ろの奥宮社があります。右後方の「源八社」、「大黒社」の写真を撮るのを忘れました。


(撮影:2017/2/16)

「磐居社」


「磐居社」

「磐居社」

「磐居社」


「石宮神社」


「石宮神社」


「石宮神社」


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