kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に回っています。
#Sakamoto119

【楠永神社】(くすながじんじゃ)大阪市西区

【楠永神社】(くすながじんじゃ)大阪市西区


大阪市の中心部、オフィス街にある「靱公園」の片隅に【楠永神社】(くすながじんじゃ)が鎮座しています。ご神木は、樹齢は約300年になる2本の楠木です。御霊神社の祭神である摂津津村郷の産土神である布良彦(つぶらひこ)と津布良媛(つぶらひめ)の二神は、元々この場所で祀られていましたが、淡路へ遷座されてから、「楠永大神、楠玉大神」の2本の楠を祀っているようです。海部堀川が横を流れており、海産物の市場であった靱市場がありました。また、永代濱と称する荷揚げ船着場があったそうで、記念碑が建っています。戦後は現在の靱公園一帯は進駐軍に接収され飛行場となりました。楠木は飛行場建設の際に伐採されかけましたが、けが人などが相次ぎ伐採は中止されたとのことです。


所在地 : 大阪府大阪市西区靱本町2-1 (靱公園内)
  アクセス: 地下鉄中央線・阿波座駅から500m


(撮影:2017/2/16)


「永代濱蹟の碑」
【楠永神社】の裏に「永代濱蹟の碑」があります。大坂の魚市場は、江戸時代の初めには
生魚を扱う雑喉場魚市場(大阪市西区・江之子島1丁目)と、干物などを扱う靭海産物市場に分かれて、発展していきました。この付近一帯の靭(うつぼ)の地は、
江戸時代には永代濱(えいたいはま)と呼ばれ、、塩干魚、鰹節などの靭海産物市場として栄えました。


「靭海産物市場跡」


【楠永神社】の裏に「靭海産物市場跡」の標石もあり、次のように刻まれています。


「江戸時代、この地には、干物ひものや塩魚、鰹節など、生魚以外の海産物を売り買いする市場がありました。豊臣時代には、海産物の市場はひとつで、今の北浜のあたりにありましたが、江戸時代のはじめ、元和四年(1618)には、生魚と、干物などを扱う市場に分かれて、生魚の市場が本町のあたりに移りました。元和八年(1622)には、海部堀川かいふほりかわという水路が開かれました。に人工的につくられた永代浜えいたいはまが、荷揚げ用の岸として使われるようになると、取引量も増えて市場も広がり、江戸時代を通して栄えました。大阪市教育委員会」



ご神木の楠木、祭神:楠永大神、楠玉大神。


伐採を免れ、のちに蘇生して、現在の姿に復活した楠木。



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