kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

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【キリシタン遺物史料館】大阪府茨木市 Ibaraki Municipal Christian Relics Depository

【キリシタン遺物史料館】大阪府茨木市 Ibaraki Municipal Christian Relics Depository


キリシタン遺物史料館は、大阪府茨木市の市街地から離れた北部の山間地千提寺地区にあり、風にそよぐ青葉や野鳥の声などに囲まれた自然の中に建っています。近くにはキリシタン自然歩道のハイキングコースや忍頂寺スポーツ公園、宿泊施設がある竜王山荘などがあります。
 館内には、元信者の家から発見された「あけずの櫃(ひつ)」に入れられた木製キリスト磔刑像や象牙彫マリア像、ほかには絵画、銅版画、メダル、書物などが展示されています。また、館内のビデオで、キリシタン遺物が発見されたいきさつや遺物の種類などを知ることができます。キリシタン墓碑が千提寺の山林で初めて研究家によって確認された再現映像や存命の人たちのアベマリアのオラショ(祈祷文)の話などがドキュメント風に収録されています。
 元信者の子孫の方で、館内の案内をされている東さんから直接、話を聞くことができました。遺物のことは家の跡取りのみに伝えられ、ほかの家族には知らされなかったということです。踏み絵については、「もったいないから、よう踏まず、手前でこけたがかんにんしてくれた」などという話も伝え聞いているとのことでした。 


キリスト教は、茨木地域を含む三島地方と深い関係を持っています。それは、高山右近が天正元年(1573年)から同13年(1585年)までの12 年間、高槻城主としてこの地にいたためです。右近は、キリスト教の熱烈な信者だと伝えられている大名です。右近が在城の間は、この地は日本でのキリスト教の中心地の一つでした。三島地方には、ほかにもキリシタン大名がいました。安威城主で、天正13年(1585年)に茨木城主になった安威了左(あいのりすけ)で、キリスト教信者になった経緯などは不明です。また、その前の茨木城主中川清秀とその子秀政・秀成も洗礼を受けたと伝えられています。
 キリスト教は秀吉の時代になって禁止されます。その教義が当時の封建思想と相容れないことなどが理由でした。高山右近は領土を取り上げられ、加賀の前田家に預けられました。江戸時代に入ってもキリスト教に対する弾圧は続き、右近は遠いマニラの地に信徒たちと共に追放されました。
 徳川幕府は徹底的にキリスト教を弾圧する政策をとる一方、日本人が国外へ出ることと、外国人が日本へ入国することを厳禁するに至りました。
 信者たちは、その縁者も含めて、死罪、流罪などの厳罰に処せられ、さらにキリスト教に関係のある物品などをすべて取り上げられました。この禁教政策によって、高槻や三島地方の信者たちも隠れて信仰をしなければならなくなったのです。


〒568-0098 茨木市大字千提寺262
TEL 649-3443
開館  9:30 ~17:00
    (月曜日は9:30 ~12:00)
休館  毎週火曜日・国民の祝日・年末・年始
入館料 無料








[ Ibaraki Municipal Christian Relics Depository ]


Early Christians in Mushima District


Hida-no-kami Takayama who was the father of Ukon Takayama ( a well-known Christian Load) was the load od Sawa Castle in The Province of Yamato (present-day Nara  Prefecture). 
In 1563 Christ's teaching impressed Hida-no-kami Takayama, and Villa baptized him Christanity. In 1564, Ukon Takayama was baptized and named the "Justo"by Irmao Lourenco, who was invited to Sawa Castle by Hida-no-kami Takayama.Then,Ukon was 12 years old.
In 1573,Justo Takayama became lord of Takatsuki,making the Mishima district, which embraces present-day Ibaraki City and neighboring Takatsuki City, one of the major centers of teh Christian faith in Japan.
In 1587, Hideyoshi Tyotomi prohibited missionary work, and ordered missionaries the deportion from Japan within 20 days.
In 1612 Ieyasu Tokugawa, who succeeded Toyotomi, issued an even more severe edict banning Christianity. The following year Takayama was banished to Manila with Christanians, while many local Christanians and their relatives were put to death or sent into exile.
The policy of ruthless persucution forced many local Christanians to abandan their faith, at least on the surface, and pose as Buddhists.Not a few of them remained hidden in remote areas where they could live in relative safety. In Feburary 1919 Mr.Daich Fujinami, a noted researcher in the history of Christianity in Japan, came across a Christian tombstone on what is locally known as Mt.Terayama in Sendaiji in the north of Ibaraki. 
Subsequent discoveries of many Christian relics in Sendaiji and nearby Shimo Otowa provided evidence that the mountain hamlets had been retreats for early Christains who kept their faith alive.