【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ) ① 奈良県生駒郡平群町信貴山
【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。「信貴山」は、今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。
住所:奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1
アクセス; JR大和路線「王寺駅」から奈良交通バス信貴山門行き終点下車。約20分。(近鉄生駒線「信貴山下駅」に途中停車)又は 近鉄大阪線「河内山本駅」から信貴線で、「信貴山口駅」にてケーブルカーに乗り換え、「高安山駅」より近鉄バスに乗り換え、信貴山門下車。
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👇 開運橋から見た信貴大橋。信貴生駒スカイラインを抜けるとこの橋に着きます。
左へ真っすぐ行くとR25で大阪へ着きます。
👇 参道石造鳥居、扁額に多聞天と刻されています。
今回の【信貴山 朝護孫子寺】の中で自分の一番の目的は、【猪上神社】です。
【猪上神社】(いがみじんじゃ)
信貴山朝護孫子寺の仁王門をくぐって100mほど進むと右手に鳥居があり、【猪上神社】の境内があります。延喜式にも記載のある古社で本来は朝護孫子寺本堂の左横に上鎮座していましたが、明治初期に神仏分離で惣門の外側、ケンガイ山へ移されその後現在地に再度移されました。祭神は天足彦命・ 国押人命で、一般には信貴山猪上大明神と呼ばれ信者の多い神社でした。由緒によると、信貴山寺の鎮守として、天足彦命と国押人命を祀ります。明治の神仏分離の際まで、朝護孫子境内の現本堂石段下にある水屋と霊宝殿の間にある経蔵の地にありましたが、明治三年一日惣門外字ケンガイ山へ遷座、その後さらに現在地に遷ったといわれています。弘安二年(1279)の「阿娑縛抄諸寺略記」に、延喜年間(901-923)信貴山中興の命蓮が堂舎増築を祈願した時、霊猪出現一夜のうちに竣工したのでこの霊猪を祀ったとあり、承平七年(937)の「信貴山資材宝物帳」には、鎮守山王の威光によって諸神を勧請したといっています。 猪上については諸説あり、『姓氏録』に「猪甘部首祖天足彦、国押人命之後也」とあり、「東大寺雑集録」にでる信貴山旧記に「鎮守猪上大明神ノ事」とあり、『大和志料』に猪上は井上の借字ではないかといってます。また吉野郡竜門山口の意賀美神社は、山頂の水神に雨を祈ったオガミ神社と呼んだ例から、当社も旧社地から神体山である雄岳山頂の水神を拝んだ神社でなかったかとの説もあります。
【猪上神社】(いがみじんじゃ)の正面の鳥居。
仁王門の金剛力士
👇 仁王門の前に安置された赤の前掛けの千体地蔵。
この鳥居をくぐって「開山堂」へ向かいます。
「開山堂」
享保十七年 (1722年) 建立。聖徳太子、弘法大師、命蓮上人、歓算上人、四国八十八ヶ所本尊を安置。
👇 中興命蓮上人の墓と伝承されている塚。
👇 信貴山ナンバーワンキャラクター、張り子の大寅。世界一!?
【剱鎧護法堂】
今から約1000年前、醍醐天皇が重い病にかかられた時、命蓮上人が勅命により毘沙門天王に病気平癒の祈願をされました。数日後、加持満願の日、剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現されて、霊感を授けられると忽ち天皇の病は癒され心安らかになられました。そこで、この地に剱鎧護法を「病気平癒」の守り本尊として、祀られ日夜勤行されました。以来、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として篤く信仰されています。
▼シンボル大寅から少し下ったところ、参道入り口に鳥居があります。これををくぐると、【剱鎧護法堂】まで約3分です。
👇 赤門です。