kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に廻っています。

【東洋のマチュピチュ / 東成マイントピア別子】愛媛県新居浜市

東洋のマチュピチュといわれる「マイントピア別子」は、愛媛県新居浜市の産業基盤の礎となった別子銅山の施設跡などを利用したテーマパーク。道の駅マイントピア別子を併設します。 最後の採鉱本部が置かれていた端出場地区を開発した端出場ゾーンと、最盛期の拠点であった東平地区を開発した東平ゾーンがあります。この場所へいくには山の曲がりくねった道を車で走るためバスのツアーをお勧めします。



所在地:愛媛県新居浜市立川町654−3


この日はあいにくの雨でした。


駐車場から見下ろした貯鉱庫と索道場跡です。



「東平歴史資料館」
別子鉱山を見つけた住友氏が経営していた鉱山跡で、江戸時代の元禄に始まり、昭和48年に閉山するまで、283年採掘が続けられていました。


町になっているので病院や小学校や郵便局にプールなども有りました。
社員・家族を含めて約5,000人が済む鉱山町として賑わっていたそうです。

当時の別子鉱山の様子がよく分かる資料館です。火薬などで爆破させて地中から掘り出した銅鉱石を汽車で運搬していました。


東平資料館の隣には、鉱山鉄道のトンネルが残されています。「マンプ」といいます。坑道を意味する「間符」から転じてそう呼ばれるようです。


現在は、人々を運搬したかご電車、索道バケットが展示されています。


ツアーと思われる人たちが見学されてました。


出発は、本館2Fの「端出場駅」から、鉱山鉄道「別子1号」に乗車し、本当に使っていた鉱山鉄道を走ります。長さ333mの観光坑道は、旧火薬庫を利用して作られました。



明治以降、近代化が進み世界有数と成った別子銅山。巨大パノラマと映像で観ることができます。

 江戸時代、鉱夫の装束は、鋪着 ( しきぎ ) という作業着で、坑道内の事故で亡くなった際、黒い帯を除けるとすぐにでも白装束になれるため着ていたようです。




住友財閥の基礎を築いた別子銅山。1690年 ( 元禄3年 ) に発見され、翌年から1973年 ( 昭和48年 ) までの約280年間に70万トンを産出。その間、日本の貿易や近代化に寄与する一方、事故や戦時中の外国の方の強制労働など、悲しい歴史もあったようです。


「旧水力発電所跡 」: 明治45年完成。当時としては東洋一の落差 ( 596m ) を利用して発電が行われました。中には、ドイツのシーメンス社製発電機、フォイト社製のペルトン水車などが、当時の姿のまま残されています。