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【岩神社】と【観音寺】 大阪府柏原市

岩神社】と【観音寺】 大阪府柏原市



延喜式神名帳に記されている式内社で、旧社格は郷社。 神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。 麓の境内に社務所が、高い石段を登った ところに社殿がある。 祭神の石姫皇女は、宣化天皇の皇女、欽明天皇の皇后である 。他に石長姫命、熊野権現。 境内にある大きなクスノキは、周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっている。 かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる古代寺院があった。 聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏されたという。 智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願されたといわれている。 その後寺は室町時代ごろに廃れたとされる。




所在地 :大阪府柏原市太平寺2-19-13


アクセス:近鉄大阪線安堂駅から東へ約800メートル






石神社の境内に智識寺の東塔の礎石が残されている。この心礎の柱穴の径は約1.2mあり、このことから、塔の高さはおよそ50mはあったと推定されるとのことである。




【観音寺】は、かってこの地にあった智識寺の法灯を継ぐと伝え、その縁起は後鳥羽院(在位:1183~98年)の時、源頼朝が勅を奉じて、2寺を合わせて1ヵ寺としたという。智識寺は奈良時代の創建で、7堂伽藍を備えた河内6大寺の1つで、聖武天皇や孝謙(称徳)天皇の行幸、礼仏で知られる。聖武天皇は740年(天平元年)に行幸、当時としては日本最大であった丈六の大仏を見た感動から東大寺大仏の造立発願の契機となったいわれる。智識寺は1086年(応徳3年)の落雷のため倒壊、以後再建されることはなかった。観音寺にはこの智識寺の経机が所蔵されている。経机の制作年代は不明であるが奈良・平安を通し、河内における大寺として知られた智識寺の唯一の遺品ともいえるだけに貴重な物といえる。




「本堂の傍らに建つへちま大師」
中秋の名月の日にはヘチマに願い事を封じ込んで祈願する「ヘチマ祈願法要」が行われる。

「大阪府指定史跡 清浄泉」


浄井戸(じょいど)とも呼ばれる湧水地は石神社(いわじんじゃ)の東側にある井戸です。この井戸は生駒山地の形成時に、岩盤から大量に湧出するようになった湧き水で、飛鳥朝・奈良朝の時代には智識寺行宮・竹原井(たかはらい)離宮に行幸された天皇様やお坊さんがここの水を飲んだそうです。竹原井の「井」はこの井戸であるという説もあります。石(いわ)神社の南から古代の導水管が出土していますが、これが清浄泉から水を引くものだと考えられています。竹原井頓宮がここにあったという傍証として挙げられたこともあるそうです。









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