【稲荷神社】と史跡【旧菱屋中新顕彰碑】大阪府東大阪市御厨
大阪府東大阪市御厨に鎮座する【稲荷神社】と史跡【 旧菱屋中新顕彰碑】
案内板によると、
『菱屋東・中・西新田と三井会所 江戸時代の中頃まで、大和川は何本にもわかれて流れ大雨が降るたびに洪水に悩まされていました。 そこで宝永元年(1704)柏原市安堂付近から堺市を通って大阪湾に流れこむよう付け替えられました。 付け替えの後、古い川筋の川床や池は埋め立てられて広大な新しい土地(新田)がつくられました 市内には菱屋東・菱屋中・菱屋西と「菱屋」の名のつく新田が3ヵ所あり、これらはその時長瀬側川床を開発した新田の1つです。 菱屋の名は工事を請負った菱屋庄右衛門の屋号をとったもので、菱屋の本名は「規矩氏きくし」といい市内新家を元和二年(1616)に開発した紀州根来の武士規矩九右衛門きくきゅうえもんの子孫にあたります。 菱屋は江戸の三井家とも関係の深い商人でしたが、享保十七年(1732)菱屋三新田はすべて三井家の所有となり、明治に入って菱屋中新田の大部分は市内菱江の藤戸家の所有となり、大正六年(1917)に藤戸新田と改められましたが、三井会所(菱屋三新田の土地を管理していた事務所)のあったところだけ菱屋中の地名が残っています。平成十一年十二月 東大阪市』と書かれています。
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