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【波牟許曽神社】(はむこそじんじゃ) 大阪府東大阪市長瀬

【波牟許曽神社】(はむこそじんじゃ) 大阪府東大阪市長瀬



「はむ」は蛇、「こそ」は社の義だといわれています。 明治二十二年(1889年)に北蛇草村を含めた七ヶ村が合併し長瀬村とりました。その後神社合祀政策により原則一村一社の基準が掲げられ、大正元年(1912年)に長瀬村内の八社を合祀して新たに長瀬神社が創建されました。それによって波牟許曽神社は廃社となり、昭和の初め頃には松の木数株が生えるのみとなっていたと言われています。


案内板によると【波牟許曽神社】(はむこそじんじゃ)の由緒については、


『平安時代に入った延長五年(927)に、上進された法令「延喜式(醍醐天皇の勅令により藤原忠平らが編集、宮中の儀式・作法・制度などをかいたもので、後の律令政治の基本法となったものです)神名帳」には全国2861社が記載されています。
東大阪市内では、波牟許曽神社、彌刀神社のほかに、枚岡神社など16社が記載されています。
諸本には共にハムコソと読んでいる。伴信友(神名帳考証)に蛇草と書イテ今イカニ唱ふにかシラネド波牟久佐(ハムクサ)トカ、波美久佐トカ唱ふべき也、云々と考証して、「河内誌」に記載す。所在地についても地名から社名ができたと説明している。これに対して、神社を「許曽」とかいふのは、延喜式に「下照比売社一座」、日本書紀に、「社戸臣大口」続日本紀に「社吉志酒人」、また国光大師伝に、「美作国稲岡ノ北ノ栃社(とちこそ)」などとある事例によっても明らかである。
波牟は蛇にして、許曽は社の義なり、蛇を祭れる者にや。村名はこれ社名より起こると述べている。
この宮については古代よりこの地の宮の関係は、その昔、物部の氏人の村であり、蛇草と云う地名の起源はこの宮の名より起こったものと伝えられる。
「神社覈録」には北蛇草村神明とあり、河内明記には大社天神とも伝え、「神明考証」には大社神社と呼んでいた。
御祭神は埴安神(はにやすのかみ)、波牟埴安姫(はむはにやすのひめ)なりと記されています。一説には、蛇を祀れるものかとも伝えられる。』





住所: 大阪府東大阪市長瀬一丁目(大ヶ)10-9 


アクセス:近鉄長瀬駅下車西へ200m
(東大阪生協病院の裏)









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