【霊宝館】(れいほうかん)は、高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に開設されました。この時に建てられた本館は、登録有形文化財として指定されています。国宝21件、重要文化財147件、和歌山県指定文化財16件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵されて... 続きをみる
高野山のブログ記事
高野山(ムラゴンブログ全体)-
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高野山【徳川家霊台】(とくがわけれいだい)和歌山県伊都郡高野町
高野山【徳川家霊台】(とくがわけれいだい)とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。この場所は本来、聖派(ひじりは)の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。大徳院は、代々徳川家との関係が深い寺院で、後に家康に... 続きをみる
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【小田原天神社】(おだわらてんじんじゃ)和歌山県伊都郡高野町
【小田原天神社】(おだわらてんじんじゃ)和歌山県伊都郡高野町 大阪では天神祭が有名ですが、高野山でも天神祭が行われます。こちらの天神さんは千手院橋 宿坊協会案内所の裏側の「普賢院」に隣接して【小田原天神社】としてお祀りされています。境内地の銀杏は秋になると真っ黄色な葉を咲かせます。 アクセス:南海... 続きをみる
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【金剛三昧院】(こんごうさんまいいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある仏教寺院・宿坊。高野山真言宗別格本山。本尊は愛染明王。仏塔古寺十八尊第11番霊場。西国愛染十七霊場第17番霊場。 尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立しました。高野山のメインストリート「小田原通り... 続きをみる
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【総持院】(そうじいん)和歌山県伊都郡高野町 『総本山金剛峯寺』の西隣、「壇上伽藍」を前に控えた、弘法大師草創の地とも云われ往古の高野山を思わせる寺院のみが立ち並ぶ、閑静な本中院谷に位置しています。 總持院は平安時代、久安年間弘法大師から二十八代目の山主、行恵総持坊の開基の古刹。 住所: 和歌山県... 続きをみる
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赤不動尊【明王院】(みょうおういん)和歌山県高野町 【明王院】(みょうおういん) は、和歌山県高野町の高野山真言宗の寺院。高野山のなかほど本中院谷に所在。日本三不動のひとつ「赤不動」として知られる。 寺伝によれば弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が高野山を開くにあたり、自ら刻んだ五大明王を安置... 続きをみる
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【湯谷弁才天】(ゆたにべんざいてん)和歌山県伊都郡 「大門」と「大伽藍」の中間あたりを歩いていると古い赤い鳥居が目に付きます。正確には壇上伽藍の西側の境内の位置にあります。ご神体が奉安する厨子に享保2年(1717)の記述があり、元禄期(1688~1704年)の古絵図にも社が描かれているためこの時期... 続きをみる
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【日吉丸大明神】(ひよしまるだいみょうじん)和歌山県伊都郡高野町
【日吉丸大明神】(ひよしまるだいみょうじん)和歌山県伊都郡高野町 みろく石本舗 かさ國(和歌山県伊都郡高野町高野山764)の横に「龍神街道」があります。その街道沿いのコンクリート塀に隠れるように【日吉丸大明神】(ひよしまるだいみょうじん)があります。由緒等は不明です。豊臣秀吉の幼少期の名前「日吉丸... 続きをみる
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【網引弁財天】(つなひきべんざいてん)和歌山県伊都郡高野町 「金剛峰寺」の道路を挟んだ隣、南都銀行高野山支店の脇に鎮座しています。弘法大師高野山御開創の時、その繁栄を祈って山内七ヶ所に祀られた弁才天の一つ。各々水源の位置に当ると云われ、水に由来した網引(又は船引)と名づけられたと云われております。... 続きをみる
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常喜院 【赤地蔵尊】(あかじぞうそん) 赤地蔵尊は、常喜院の敷地内にあります。本尊の正式名称は「恵宝地蔵尊(えほうじぞうそん)」。体の赤い色は水銀朱(丹生)で、古来中国では仙人の妙薬といわれています。 【赤地蔵尊】(あかじぞうそん)の他、「さすり地蔵」「水かけ不動明王」「聞耳(ききみみ)地蔵」「一... 続きをみる
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【清高稲荷神社】(きよたかいなりじんじゃ)和歌山県伊都郡高野町
【清高稲荷神社】(きよたかいなりじんじゃ)和歌山県伊都郡高野町 「北室院」(和歌山県伊都郡高野町高野山470)の横に鳥居がたくさん立ち並んでいます。その参道をあがっていくと【清高稲荷神社】(きよたかいなりじんじゃ)が鎮座しています。祭神に清高稲荷大明神(稲荷神)を祀っています。由緒等は不明です。高... 続きをみる
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金剛峯寺・大師教会の前に、【常喜院】(じょうきいん)があります。世界遺産高野山は弘法大師が1200年前に、密教の修業道場として開かれた聖地です。高野山常喜院では、宿坊宿泊・永代供養・加持祈祷など行っています。金剛峯寺・大師教会の前に、【高野山常喜院】があります。 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山3... 続きをみる
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「天徳院」(てんとくいん)の横の道に向いて小さな社があります。お賽銭として?がま口財布がお供えされていました。 場所:和歌山県伊都郡高野町高野山370 👇「天徳院」(和歌山県伊都郡高野町高野山370)
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【尾先弁天】(おさきべんてん)和歌山県伊都郡高野町 綱引弁天の東、一乗院山門の手前に立つ約70cm四方の小さな祠。鳥居へと続く参道は、裏山を借景にした庭園が整備されていてその美しさはひとしお。如意宝珠と太鼓を持ち、背中には剣を背負った珍しい姿の女尊がご神体。 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山606... 続きをみる
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【圓山弁財天】(まるやまべんざいてん)和歌山県伊都郡高野町 【圓山弁財天】(まるやまべんざいてん)の由来は、町の中心の南小田原地区にあり、その形が楕円形をしていることから名付けられました。圓山弁財天の場所は、水の道と深い関係があります。ご神体は天女と十五童子でいずれも空海が勧請したとの言い伝えが残... 続きをみる
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高野山 【成福院】(じょうふくいん)和歌山県伊都郡高野町 「成福院」の御本尊は「大随求明王(だいずいぐみょうおう)」で、祈願者の求めに随ってくださる明王様とのことです。このお寺はビルマ戦没者を弔う「摩尼宝塔」でも有名で、前住職が悲惨なビルマ戦の体験者で、その縁で供養を続けられているとのことです。 ... 続きをみる
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【親王院】(しんのういん)和歌山県伊都郡高野町 【親王院】は今から1200年前に嵯峨天皇の皇太子となった真如親王が開基したと伝えられる寺院です。真如親王は空海の十人弟子の一人として知られる高僧で、空海の死滅した際には遺骸の埋葬にも立ち会ったと言われる人物です。【親王院】には当時を物語る資料として、... 続きをみる
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この池は「蓮池」と呼ばれます。昭和の頃までは美しい蓮(はす)が咲き誇っていました。この池には小さな祠(ほこら)が祀られています。明和年間のこと、干ばつが度々起こり、民衆は苦しみました。そこで明和8年(1771年)、瑞相院慈光(ずいそういんじこう)というお方が【善女龍王】(ぜんにょりゅうおう)像と仏... 続きをみる
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【弁才天融通橋】(べんざいてんゆうづうばし)和歌山県伊都郡高野町
【弁才天融通橋】(べんざいてんゆうづうばし)和歌山県伊都郡高野町 由緒等不明です。【高野山大師教会】の前にあります。 場所:和歌山県伊都郡高野町高野山347 アクセス:南海高野線の終着駅極楽橋駅より、南海鋼索線(ケーブルカー)で高野山駅下車。南海りんかんバスまたはタクシーで乗り継ぎ。
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【高野山大師教会】(こうやさん だいし きょうかい)和歌山県伊都郡高野町
【高野山大師教会】(こうやさん だいし きょうかい) 高野山開創1100年記念として1925年(大正14年)に建てられ、高野山真言宗の布教等の総本部です。本尊は弘法大師、脇仏として愛染明王と不動明王が祀られています。日帰り修行体験などもあり写経の他、大講堂の奥の授戒堂にて阿闍梨さまより菩薩十善戒を... 続きをみる
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【智泉大徳廟】(ちせんだいとく)は、和歌山県高野山の壇上伽藍東塔東側にあります。智泉(789-825)は、讃岐出身の平安時代の僧で、空海の甥にあたります。父は、讃岐滝宮の宮使で、菅原氏、母は佐伯氏の出身で空海の姉。延暦8年(789年)に生まれ、16歳の時に大安寺を本寺として出家。弘仁3年(812年... 続きをみる
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【大塔の鐘】高野四郎(こうやしろう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町
【大塔の鐘】高野四郎(こうやしろう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本... 続きをみる
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【御影堂】(みえどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本大塔、金堂など... 続きをみる
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「愛染堂」(あいぞめどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町
「愛染堂」(あいぞめどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本大塔、金堂... 続きをみる
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【三昧堂】(さんまいどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町
【三昧堂】(さんまいどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本大塔、金堂... 続きをみる
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【大会堂】(だいえどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町
【大会堂】(だいえどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。。境内には根本大塔、金堂... 続きをみる
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【六角経蔵】(ろっかくきょうぞう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町
【六角経蔵】(ろっかくきょうぞう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本大... 続きをみる
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【西塔】(さいとう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本大塔、金堂など1... 続きをみる
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【山王院】(さんのういん)【御社】(みやしろ)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町
【山王院】(さんのういん)【御社】(みやしろ)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境... 続きをみる
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【金堂】(こんどう)/ 「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。。境内には根本大塔、金堂など... 続きをみる
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【根本大塔】(こんぽんだいとう)「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町
【根本大塔】(こんぽんだいとう)「壇上伽藍」和歌山県伊都郡高野町 壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本大塔、金... 続きをみる
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壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。境内には根本大塔、金堂など19の建造物が建ち並びます。 【中門】(ちゅうもん) 金堂の... 続きをみる
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【金剛峯寺】(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘... 続きをみる
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【金剛三昧院 多宝塔】(こんごうさんまいいん たほとう)和歌山県伊都郡高野町
【金剛三昧院 多宝塔】(こんごうさんまいいん たほとう)和歌山県伊都郡高野町 【多宝塔】とは、仏教建築の仏塔のひとつです。一般的に裳階(もこし)と呼ばれる、本来の屋根の下に、もう一重屋根を重ねる建築様式で、二層になっているように見えます。そのため外観は二階建てに見られますが、実際は一階建てです。高... 続きをみる
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【花坂不動尊】(はなさかふどうそん)和歌山県伊都郡 高野山へ向かう参詣道 “花坂”にあるパワースポット、宗教法人圓融両部神道聖法宗 【花坂不動尊】(はなさかふどうそん)。弘法大師 空海の開いた霊場高野山のの表参詣道にあたる高野山道路は、「高野龍神スカイライン」の開通とともに全国からの参拝者の大動脈... 続きをみる
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【高野山】(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場... 続きをみる
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【高野山】(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場... 続きをみる
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【高野山】(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場... 続きをみる
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【高野山】(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場... 続きをみる