大阪市平野区の【旭神社】(あさひじんじゃ)前に祠 があります。旭神社の鳥居の道を通る度に気になるのですが、詳細は不明で調査中です。旭神社とは関係ないと思います。小さな祠の中にはキツネさんがいるので、稲荷神社になると思うのですが、よくわかりせん。 木製の祠自体は古いですが、狭い境内は掃除されていて管... 続きをみる
参拝のブログ記事
参拝(ムラゴンブログ全体)-
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【旭神社】(あさひじんじゃ)「若宮八幡宮」大阪市平野区 由緒;御祭神;素盞鳴尊、天照大神、春日大神、堅牢大神、諏訪大神、公守大神、勝手大神、丹生大神、嶋戸大神。 旭神社の鎮ります大阪市平野区加美正覚寺の地は、古くは“河内国渋川郡賀美郷橘嶋荘(里)”と称されており、その賀美(加美)澁河(渋川)... 続きをみる
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【正覚寺】(しょうがくじ)大阪市平野区 山号は成等山(じょうとうさん)。奇数日の午前9時半と午後1時半に一般参詣できる。天長2年(825年)に空海(弘法大師)により開基。かつては境内四町四方、本堂二十一間四面、不動堂七間四面、その他山門、廻廊、伽藍等巍々たる名刹で、東之坊ほか五坊を有する巨刹だった... 続きをみる
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【堀川戎神社】(ほりかわえびすじんじゃ)大阪市北区 大阪市内および近畿一円では、大阪市内南部の今宮戎神社および兵庫県の西宮戎神社などと共に商売繁盛の神様として知られている。「堀川のえべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。蛭児大神(蛭子大神)を主... 続きをみる
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【股ヶ池明神】(ももがいけみょうじん)大阪市阿倍野区 桃ヶ池にまつわる伝説として、「桃ヶ池に棲んでいた大蛇を聖徳太子が退治した」という内容が伝えられている。その際、股ヶ池浮島に穴を掘り大蛇の死体を埋葬したが、その後も怪異が続くというので霊を沈めるため「おろち塚」が作られ、昭和初期まで残っていたとさ... 続きをみる
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【安倍晴明神社】(あべせいめいじんじゃ)大阪市阿倍野区 【安倍晴明神社】(あべせいめいじんじゃ)は、陰陽師・安倍晴明を祀る、占いの発祥地。安倍晴明は阿倍野の豪族だった父・阿倍保名(あべやすな)と葛の葉と名乗る白狐の間に生まれた伝説がある。葛の葉の正体が白狐であることがばれた時に、障子に葛の葉が書き... 続きをみる
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【阿倍王子神社】(あべおうじじんじゃ)大阪市阿倍野区 【阿倍王子神社】(あべおうじじんじゃ)は、かつては阿倍王子(あべのおうじ)といい熊野神社の分霊社である九十九王子のひとつであった。『摂州東成郡阿倍権現縁記』によれば、仁徳天皇の夢の中に熊野三山の使いである3つの足の烏が現れ、仁徳天皇がそれを捜さ... 続きをみる
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【来恩寺】(らいおんじ)大阪府八尾市 当山の縁起は、現在の地に江戸中期より来福寺という名の小さなお堂があったところで、1906年(明治39年)に、現在地より東南200メートル生駒山系の中腹にあった恩覚寺と合併し、以来、来恩寺(融通念仏宗)としての歴史は100年足らずだが、来福寺(浄土宗)、恩覚寺(... 続きをみる
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【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)は、大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「... 続きをみる
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【西向稲荷】(にしむき稲荷)【高倉大明神】(たかくらだいみょうじん)【於花大明神】(おはなだいみょうじん)大阪府八尾市
【西向稲荷】(にしむき稲荷)【高倉大明神】(たかくらだいみょうじん)【於花大明神】(おはなだいみょうじん)大阪府八尾市 JR関西本線沿いの大阪府八尾市植松の住宅地に、弘法大師、お稲荷、不動明王を一度に参拝できる場所があります。JR八尾駅の南口を出て、「安中新田会所跡・旧植田家住宅」もある方向へ歩き... 続きをみる
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【太川神社】(おおかわじんじゃ) 大阪府八尾市 国道25号線沿いの大阪府八尾市南太子堂に【太川神社】(おおかわじんじゃ)があります。この神社の由緒について(境内案内板より);「御祭神;素盞嗚命、保食神。太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂6丁目11番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地... 続きをみる
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【大念佛寺】(だいねんぶつじ)大阪市平野区 融通念仏宗の総本山で、本堂は大阪府下最大の木造建築物。国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勘進帳」などの寺宝があり、毎年1・5・9月のそれぞれ16日に行なわれる百万遍会(大数珠くり)は有名だ。5月1~5日の阿弥陀経万部会(万部おねり)は、壇家代表や... 続きをみる
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パワースポット 【堀越神社】 (ほりこしじんじゃ)大阪市天王寺区
パワースポット【堀越神社】 (ほりこしじんじゃ)大阪市天王寺区 「一生に一度の願いを聞いてくださる神様」 【堀越神社】 (ほりこしじんじゃ)は交通量の多い道路に面していますが一歩中へ入ると緑が多く、ひっそりとした境内は落ち着いた雰囲気を感じることができます。創建は、第33代の推古天皇の時代。当時... 続きをみる
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大阪府東大阪市古箕輪に鎮座する「古箕輪八幡宮」(こみのわはちまんぐう)です。この神社は、鴻池新田の水路である五箇井路と六郷井路(六郷川)の最上流部で最も東の位置になります。水路の交差点(藤五郎樋)のすぐ側にあり、旧河内街道、五箇井路沿いに位置しています。もと箕輪村に含まれる古箕輪は、新開池の南東に... 続きをみる
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【末廣稲荷神社】 (すえひろいなりじんじゃ )大阪市生野区 この神社は、東大阪市の新今里公園の北東角に鎮座します。公園内では立派な鳥居が目立ちます。この神社の由緒等については不明です。祭神である「末廣大明神」以外にも「石切釼大明神」も鎮座されていて、神木と祠があります。この裏手には北向地蔵様もあり... 続きをみる
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【箕輪久方稲荷】(みのわひさかたじんじゃ)大阪府東大阪市箕輪
【箕輪久方稲荷】(みのわひさかたじんじゃ)東大阪市箕輪 この神社に関する由緒等は不明です。社は一見、地蔵堂のように思えますが、鳥居には「久方大神」となっています。稲荷神を祀っています。隣の家にかけてある水車はこの神社には関係ないですが、田んぼに水を入れるための水車らしいです。この神社の横、道を挟... 続きをみる
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宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡... 続きをみる
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【櫻宮神社】(さくらのみやじんじゃ) 大阪市都島区 兵火洪水の難にあい神宝記録が無くなってしまったことから創建は不詳ですが、元は東生郡野出「小橋」桜の馬場字「宮田」(東成郡野田村)に氏神として奉斎したのが始まりとされます。 豊臣氏が桜を愛し、馬場に馬を進めて落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行なったと... 続きをみる
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【歳之神】( さいのかみ) 大阪市東成区 この【歳之神】は今里新道商店街から北、今里小学校の東隣にあります。【歳之神】( さいのかみ)とは道祖神のことです。こちらの案内書きによると。「歳之神(賽神)は道路を守り、悪気邪神をさえぎり防ぐ神。一般には道祖神と呼ばれ疫病や災禍を防ぐ神とされている。ここに... 続きをみる
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【白光神社】( しらみつじんじゃ) 大阪市東成区 この神社は住宅地の角にあり、全体を赤い柵で囲まれています。入口は1つです。鳥居奥の額には「白菊大神(しらぎくおおかみ)」「白光龍王(しらみつりゅうおう)」「力松大明神(りきまつだいみょうじん)」と記されています。おそらく御祭神だと思われます。、この... 続きをみる
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【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区 聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。 「契沖遺跡」(けいちゅういせき) 昭和24年(1949... 続きをみる
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【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区 街道沿いのまちなみが残る大今里の住宅地から少し入ると、妙法寺と並んで熊野大神宮(くまのだいじんぐう)があります。 熊野大神宮の歴史は古く、聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれました。明治維新後の神仏分離で現社名に改めま... 続きをみる
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【大仁八阪神社】(だいにんやさかじんじゃ))は大阪市北区大淀中に鎮座する神社。 通称、大仁八阪神社。 このあたりは、6世紀頃に百済から派遣された五経博士の王仁(わに)公にゆかりの地で王仁が転じて、大仁(だいにん)と呼ばれるようになった場所です。そのころに、神社がすでに創建されていたようです。その後... 続きをみる
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【廣田神社】(ひろたじんじゃ)大阪府浪速区 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。天照大神の荒魂)を祀る。もと天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)ですが創建年代は不詳です。古い由緒を持つとともに江戸時代には廣田の杜といわれ、うっそうとした森のな... 続きをみる
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【住吉神社】(すみよしじんじゃ)大阪府八尾市東山本町 大阪線河内山本駅から北東へ500m程の距離にあり、駅前の「山本八幡宮」の北側の橋を渡り東へ信貴山の方向に向いて山本新田会所跡から一本東側の道を東へ進むと程なく北へ入る道があり、中へ入って直ぐにあります。 御祭神;底筒男命、中筒男命、表筒男命... 続きをみる
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【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区
【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区 平野公園の一角に鎮座されている、【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)は、主祭神 阿加流比売神(あかるひめのかみ)をお祀りしている神社です。現在は、杭全神社の境外末社となっていますが、かつては、住吉大社の末社でした。由緒につい... 続きをみる
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【春日神社】(かすがじんじゃ)大阪府東大阪市横枕東 由緒について;「御祭神;武甕槌命、経津主命、天児屋根命、姫大神。当社創建の年月日は詳らかならず。第一室戸台風に倒れし樹木より、推測するに四百年位前ならんか。昭和四十二年大阪府の東大阪市開発土地区画整理事業により社殿再建事業に着手、翌年十月竣功する... 続きをみる
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【杵築神社】 (きづきじんじゃ) 大阪府八尾市佐堂町 由緒について:「御祭神;素戔嗚尊。弥生時代の佐堂遺跡内にある産土神で、通称「佐堂のお宮さん」で親しまれている。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で出雲本社から分霊したものと伝えられる。本殿は一間社春日造で覆屋内に鎮座する江戸時代中期の敬つく様式... 続きをみる
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【杭全神社】(くまたじんじゃ)大阪市平野区 主祭神 :素盞嗚尊 熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊) 当社の由緒は、平安の初期、征夷大将軍坂上田村磨の子、広野麿が枕全荘を荘園として賜ってこの地に居を構え、その子当道が862年(貞観4年)に氏神として素盞嗚尊を勧請し祇園社を創建したのが現在の... 続きをみる
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杭全神社の境内に摂社の【宇賀神社】(がやじんじゃ)があります。社が池の中にあって、弁才天が祀られています。この神社の由緒等は不明です。 住所:大阪府大阪市平野区平野宮町1丁目9 #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #むらごんブログ #ムラゴン #Sakamoto119
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「全興寺」(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。境内に【小さな駄菓子屋さんの博物館】があります。 これは「平野町ぐるみ博物館」の常設館の一つ。1993年に寺の蔵を改修してオープンした。川口住職が小さい頃駄菓子屋で集めた数百点のコレクションを展示している。展示物は駄菓子の外箱や包装紙... 続きをみる
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【全興寺】(せんこうじ)大阪市平野区 札所等 :おおさか十三仏霊場 第7番。摂津八十八ヶ所霊場 第39番 【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動... 続きをみる
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【菅原神社】(すがはらじんじゃ)大阪府東大阪市 大阪府東大阪市新家に鎮座する【菅原神社】は、暗越奈良街道の北側にあります。 新家と菅原神社の説明書きがありました。 『新家は新しく開かれた村という意味で、全国各地に同様の地名があります。本市の新家は、規矩きく氏によって開かれたと伝えられています。規矩... 続きをみる
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【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区
平野公園の一角に鎮座されている、【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)は、主祭神 阿加流比売神(あかるひめのかみ)をお祀りしている神社です。現在は、杭全神社の境外末社となっていますが、かつては、住吉大社の末社でした。由緒について;当社の祭神、赤留比売命は新羅(しらぎ)から来た女神で天之日... 続きをみる
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【木村重成の像】(きむらしげなり) この像の案内板などは近くにありませんので見つけるのは難しいです。特に夏場は雑草が茂っていて見えにくいです。場所は、 東大阪市若江南 蓮城寺(大阪府東大阪市若江南町2丁目3-7)の近くで、東大阪若江南郵便局の南側にアスファルト駐車場があります。その奥の無道路地の空... 続きをみる
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【小楠公御墓所】(しょうなんこうごぼしょ)は、大阪府四條畷市にある南北朝時代の南朝の将、楠木正行の墓。墓所のある場所は、楠木正行が1348年(南朝:正平3年、北朝:貞和4年)、四條畷の戦いで戦死した地。現住所表記では四條畷市雁屋南町27番5号。正行の父楠木正成が明治政府によって「大楠公」(だいなん... 続きをみる
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【住吉平田神社】(すみよしひらたじんじゃ) 大阪府四條畷市 四条畷駅を降りて道路に立つ白く大きな鳥居をくぐり、山の方を目指して真っ直ぐの坂を上った所にある四条畷神社の参道階段手前から北へ5分程歩くと、住吉平田神社へ着きます。 この神社の由緒について; 当社の創建は『神社由緒記』には「平安初期の寛平... 続きをみる
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【四條畷神社】(しじょうなわてじんじゃ)大阪府四條畷市 建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である。南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神としている。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれるが、地元四條畷... 続きをみる
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【北條神社】(ほうじょうじんじゃ) 大阪府大東市 「祭神 誉田別命(品陀別命)・菅原道真公 。例祭 十月二十日・二十一日 。 祭神は京都北野神社の御神木で像(註1)を刻んだものであると、当社の古記録にある。 即ち時(註2)の天皇の御詔勅に「北野の神木で神像を作り、漂流地に祀るべし」とあったので数多... 続きをみる
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【慈眼寺】( じげんじ)通称:「野崎観音」(のざきかんのん)大阪府大東市
【慈眼寺】( じげんじ)通称:「野崎観音」(のざきかんのん)大阪府大東市 【慈眼寺】( じげんじ)は、大阪府大東市野崎にある寺院。山号は福聚山(ふくじゅさん)。宗派は曹洞宗。本尊は十一面観世音菩薩。本尊にちなみ、【野崎観音】(のざきかんのん)の通称で知られます。天平勝宝年間(749年 - 757年... 続きをみる
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【宿院頓宮】(しゅくいんとんぐう)は、大阪府堺市堺区にある頓宮・神社。由緒;住吉大社の御旅所として設置され(年代不詳)、住吉の「宿居」から転じて「宿院」と呼ばれるようになったと言われる。古くから夏の大祓日に住吉大社から神輿を迎え、境内西側にある飯匙堀で「荒和大祓神事」が行われてきた。明治以降は大鳥... 続きをみる
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【開口神社】(あぐちじんじゃ)堺市堺区 通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれている。堺南組(大小路以南)の氏神社。式内社で、旧社格は府社。祭神;塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくくにたまのかみ)を祀る。塩土老翁神は住吉大社の住吉... 続きをみる
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【神明神社】(じんめいじんじゃ)大阪府堺市 由緒について;御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊受大御神(とようけおおみかみ)をはじめ計16柱が合祀されていて、「堺のお伊勢さん」と言われています。前身の稲荷神明は豊彦稲荷神社として末社に列さられています。天保12年に堺奉行水野若狭守が、こ... 続きをみる
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【高崎神社】(たかさきじんじゃ)大阪市住之江区 由緒について;宝暦五年(1755年)初代加賀屋甚兵衛氏が産土神の水分神を勧請して 大和川河口に祭り、天保八年(1837年)現地に移築して同時に天照大神、柿本人丸大神を合祀したと言う社伝では、天保十年(1839年)創建された。当地一円の開拓者、三代目... 続きをみる
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【高砂神社】 (たかさごじんじゃ ) 大阪市住之江区 元文2年(1737年)、北島新田開墾に際して加賀屋甚兵衛により創建された。新田開発者は例外なく鎮守の神社を建てたもので甚兵衛は出身地である河内国石川郡喜志村(富田林市)の産土神、水分神(みくまりのかみ)を勧請した。天保6年(1835年)に本殿が... 続きをみる
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【止止呂支比売命神社】(とどろきひめのみことじんじゃ)大阪市住吉区
【止止呂支比売命神社】(とどろきひめのみことじんじゃ)大阪市住吉区 御祭神;素戔嗚尊、稲田姫尊。摂社:霰松原荒神社/天水分豊浦命神社(式内社)三宝荒神(天水分命、奥津彦命、奥津姫命)、大国主命、事代主命。由緒について;創建年代は不明。しかし、延喜式にはその名の記載がある。社名のトドロキとは当時の... 続きをみる
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【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区
【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区 由緒について ;延喜式内の古社であって、三の宮と称され、遠く二千年前の御創建である。 御祭神は、主神(神産霊大神、手力雄命、天児屋根命)、相殿(天日鷲命、大己貴命 、宇賀魂命)、追祀(少名彦命、素盞嗚命、住吉大神)である。 本社は古来酒... 続きをみる
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【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)大阪市平野区 大阪市平野区に鎮座の、難読地名を名に持つ【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)」。 御祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)、平維盛(たいらのこれもり)。 瓜破の歴史を記録し唯一現存する船戸録(天文元年 1736 記)... 続きをみる
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【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市
【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市 【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。 美具久留御魂大神(大国主命)を主祭神とし、左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)、右殿に国水... 続きをみる
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【錦織神社】(にしきおりじんじゃ)大阪府富田林市 地元では、錦織を「にしこり」「にしこおり」「にしごり」と呼ばれています。 所在地は本来の錦織地区からはかなり離れています。神社のある地域は、太古は「錦部(にしごり)部」と呼ばれていたらしく、旧くは織物の技術を持つ人々が百済より渡来し住みついていたと... 続きをみる
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【烏帽子形八幡神社】(えぼしがたはちまんじんじゃ)河内長野市
【烏帽子形八幡神社】(えぼしがたはちまんじんじゃ)は、大阪府河内長野市喜多町305に所在する神社。旧社格は村社。 祭神:素盞鳴命、足仲彦命、神功皇后、応神天皇。 烏帽子形山には楠木七城(河内七城)のひとつとされる烏帽子形城という城があった。楠小二郎がこれに拠い、城の鎮護として創祀したものと伝えられ... 続きをみる
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【長野神社】(ながのじんじゃ)河内長野市 祭神:素盞嗚大神(牛頭天王)、天児屋根命、菅原道真。 創建年代は不詳。本殿は天文12年(1543年)頃に建てられたと考えられている。かつては木屋堂の宮(こやどうのみや)、牛頭天王宮(ごずてんのうのみや)と呼ばれていたが、慶応4年(1868年)から長野神社... 続きをみる
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【小山産土神社】(こやまうぶすなじんじゃ) 大阪府藤井寺市 室町時代に神宮寺として再建され、祭神を牛頭天王としていましたが、現在は産土神社として素戔鳴命と櫛稲田姫を祀っています。 本殿は一間社流造で、主要部分は創建当時の状態をよく留めており、藤井寺市内で最古級の神社建築として貴重です。 産土とは... 続きをみる
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【志紀長吉神社】(しきながよしじんじゃ) 大阪市平野区 延喜式内の神社で祭神は長江襲津彦命、事代主命の二座である。明治5年に旧郷社に列せられたころは、旧長吉、瓜破、恵我、大正、藤井寺の各村の総氏神であったが、現在は長吉一円の氏神である。大坂夏の陣のとき、豊臣方の武将真田幸村がこの神社に刀剣と軍旗を... 続きをみる
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【東弓削神社】(ひがしゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 弓削氏の祖神である天日鷲翔矢命と物部氏の祖神の彌加布都神、比古佐自布都神の二座をまつる延喜式内社で、河内国でも枚岡、恩智社に次ぐ三指に数えられた大社であった。弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とする豪族で、弓矢などの武器の製作にたずさわる弓削部... 続きをみる
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【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市 別称は【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)。碑文に書かれているのは、「阪神大震災で鳥居等大きく被災しその債権並びに氏子一丸の賛助と多大の寄進を以って鳥居の奉納併せて境内の大整備を完遂したことを慶び氏子全員の家運隆昌を祈願しここに記す。」 この【子守社】の道路を挟... 続きをみる
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【教興寺】(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗の仏教寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。詳名は「獅子吼山大慈三昧院教興寺」。本尊は弥勒菩薩である。 寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したという。寺は中... 続きをみる
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【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市 熊野神社とも呼ばれます。熊野権現を祀ります。山麓なので正面入り口からは階段で上がっていく高台に鎮座しているように感じます。 権現社の沿革:「慶長年間(1596~1614)に、熊野権現を勧請」。寛政2年(1790)意満寺の南西端にあった愛宕神社を合祀。鎮座地... 続きをみる
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【赤坂神社】(あかさかじんじゃ)大阪市平野区 この地は、もと丹北郡赤坂村と呼ばれたが、元弘元年(1331年)金剛山麓の「千早赤坂」を拠点に楠木正成が鎌倉幕府に対して反旗をあげたので、同名の「赤坂村」の名では混同されて幕府軍から攻撃される恐れがあり、赤の字から縦の線を、坂の字から土を取り「六反」にな... 続きをみる
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岩神社】と【観音寺】 大阪府柏原市 延喜式神名帳に記されている式内社で、旧社格は郷社。 神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。 麓の境内に社務所が、高い石段を登った ところに社殿がある。 祭神の石姫皇女は、宣化天皇の皇女、欽明天皇の皇后である 。他に石長姫命、熊野... 続きをみる
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【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)は、大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「... 続きをみる
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【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作... 続きをみる
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【太川神社】(おおかわじんじゃ)大阪府八尾市 この神社の鳥居の前にある案内板の由緒には、「太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂六丁目拾壱番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳らかならざるも古来より當領水域一円を潤す太川の名に因み太川神社と称え奉る。御... 続きをみる
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【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部 ◆御劔神社のしるべ 此の地、古くは河内国若江郷刑部郷と言い訓を聞けば刑部(おさかべ)は、備中国賀夜郷、伊勢国三重郡等の刑部郷の例により於佐加部と読むべしと伝えられその遺構であると言われている。第十九代允恭天皇の忍坂大中女命の御名代として定められた民... 続きをみる
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【顕証寺】(けんしょうじ)は、大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。久宝寺御坊ともいう。 かつて、周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。伝承によれば、久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじん... 続きをみる
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【新家天満宮】(しんけてんまんぐう)大阪市平野区 この神社の案内板によると、由緒は、「御祭神;菅原道真公、天照大神。当社の創建年月は不詳であるが、所伝によれば、この鎮座地は、御祭神の菅原道真公が左大臣藤原時平の陰謀、讒言によって昌泰四年(901)、16歳の醍醐天皇により右大臣、従二位の官位から大... 続きをみる
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【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市 当寺は龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年、(一三四一)辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、宗門きっての古刹です。この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で、念佛勧進聖堂場とし... 続きをみる
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【竹淵神社】(たこちじんじゃ)大阪府八尾市 天照皇大神宮を祭る。昔は水田の中、周囲を濠で囲まれた神社であったが、住宅地が接近してきたため、昭和44年、周濠(宮池)の一部を埋め立てて神域を広くし、まわりの住宅地との間に緑地帯をつくった。この宮池には龍神が住むと言い伝えられている。神社の森にある楠の大... 続きをみる
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【跡部神社】(あとべじんじゃ)大阪府八尾市 由来について:「当神社は延喜式内社(今より約阡八十年前)人皇天皇第六十代醍醐天皇時代に延喜年間と言ふ年号が有り、通稱平安時代又は藤原時代と言はれております。其の初期にお祀りされておりましたのを今の跡部神社であり、その時に有りました神社を式内社と言はれてお... 続きをみる
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【西郡天神社】(にしこおりてんじんじゃ)大阪府八尾市泉町 由緒について; 「昔の由緒には、当社の創建は天文年間(1532~1553の間)とされ、明治5年には村社に列社し、境内地996坪との事であるが古代国土形築の神道考古学的な観念から推察するには、この地域にはかなり古くより、御心鎮座の可能性もあ... 続きをみる
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【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)大阪府八尾市 この【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)の付近には古い町並みが数多く残っています。もとは「免田神社」と呼ばれてました。 【太田八幡宮】の由緒については、 「御祭神;品陀別命 免田神社は中河内郡大正村大字大田字免田にあり。 品陀別命を祀れり。 由... 続きをみる
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【穴太神社】(あのうじんじゃ)・【廃千眼寺跡】(はいせんがんじあと )大阪府八尾市
【穴太神社】(あのうじんじゃ)【廃千眼寺跡】(はいせんがんじあと )大阪府八尾市 当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地といわれる。当社は古代氏族穴太氏の一族の祖紳を祭る産土神で、境内に残る寺跡はその氏寺であつたと考えられる。同寺は河内鑑名所記、和漢三才図会... 続きをみる
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【祇園社】 恩智石器時代遺跡(おんぢせっきじだいいせき)大阪府八尾市
「祇園社」 / 恩智石器時代遺跡(おんぢせっきじだいいせき)大阪府八尾市 この地、天王の森は恩智神社のお旅所でこの森を中心として東高野街道から恩智川に至る付近一帯は府下でも有名な弥生時代の遺跡で大阪府の建てた碑がある。近年縄文式土器も出土している。 今日まで地下およそ三メートルの辺から種々の石器土... 続きをみる
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【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市 式内社(名神大社)で、河内国二宮であると伝える。旧社格は府社。雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる... 続きをみる
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【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)大阪府八尾市 この石仏は母乳の出ない婦人が祈願すれば母乳が出るとか、歯痛の時には直してくれるとも言われているそうです。 場所:大阪府八尾市山本町北 「貝塚地蔵尊」(かいづかじぞうそん)から歩いて数分のところに、【三十八神社】(みそやじんじゃ)があります。
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【三十八神社】(みそやじんじゃ)大阪府八尾市 大阪府八尾市福万寺町に鎮座する【三十八神社】(みそやじんじゃ)です。この「みそや」という読み方も含めて、神社の境内の案内板の由緒には次のように書かれています。 「由緒;三は御祭神(天照皇大神・八幡大神・春日大神)を表し、十八は、神々に対する敬語と伝えら... 続きをみる
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【神劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市 二百二十五年以前の元文元年辰歳国分村反師枩井四郎兵衛らによって造営され素戔嗚命、保食神の二神を祀り田井中村の氏神として永く村民の尊敬を集め弥栄えてきた。往時の旧大和川縁辺に当たる現東老原地区の五条宮跡附近から奈良朝時代の古瓦が発見されたことからみて ... 続きをみる
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【シュミイ地蔵】大阪府八尾市 東高野街道沿いの恩智城址への登り口脇にある地蔵です。名前の由来は不明ですが、地元恩智の有志が結集して菩提追善のため、彼岸の中日に建立したもの。高さ一三六センチメートル、幅六七センチメートル材質は花崗岩。像の左右に次の銘文がようやく読みとれます。「良盛長盛道梁妙見也阿... 続きをみる
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【加津良神社】(かつらじんじゃ)大阪府八尾市萱振町 この神社は、大阪府八尾市萱振町の旧八尾街道沿いにあります。近鉄大阪線八尾(八尾市)とJR学研都市線住道(大東市)を結ぶバスが走っています。バスと乗用車がやっとすれ違う狭い道路ですが、結構な通行量です。この【加津良神社】の向かいの小さな公園内に【境... 続きをみる
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【寶殿神社】(ほうでんじんじゃ) 大阪府八尾市 室町時代河内守護職であった畠山氏の小山砦から鬼門の位置にありましたので、その守護神として創建されたと伝えられ、沼の産土神です。本殿は一間社流造で覆屋内に鎮座し江戸時代初期のもので、市内に残存する古い建築様式の一つであり同時代のものと考えられる珍らしい... 続きをみる
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【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)/ 大阪府八尾市
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)は、大阪府八尾市大字教興寺にある神社。 これら二つの神社は隣接しており、境内の境界線もはっきりせず、別々の神社であることに気が付き難いです。 天照大神高座神社は八尾市の南東部・高安山の中腹に位置する。旧... 続きをみる
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【稲生神社】(いなりじんじゃ)八尾市天王寺屋 八尾市天王寺屋の国道25号線沿いに鎮座する【稲生神社】(いなりじんじゃ)です。 この周囲は天王寺屋吉兵衛氏が開発した天王寺屋新田(てんのうじやしんでん)が地名の由来である地域です。長瀬川(旧久宝寺川)はJR線の東側にあります。 国道25号線でも天王寺屋... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)と【稲村城(稲城)】八尾市木の本
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。 八尾市木の本 「樟本神社」 用明天皇の御代(約1400年前)物部守屋公... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)大阪府八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
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【瑠璃光寺】(るりこうじ)と【若倭姫神社】 ( わかやまとひめじんじゃ ) 大阪府柏原市
【瑠璃光寺】(るりこうじ)は、大阪府柏原市山ノ井町にある仏教寺院。曹洞宗永平寺の末寺で山号は「医王山」。 正式には「医王山薬師院瑠璃光禅寺」と称する。天平年間に行基が開創、本尊の薬師如来像は行基の作と伝わる。かつては『七堂伽藍を具備せし巨刹なり』といわれ、大規模な寺院だったが、織田信長の信貴山城攻... 続きをみる
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【彌刀神社】(みとじんじゃ:弥刀神社)大阪府東大阪市 祭神は速秋津日子神・速秋津比売神という水戸(港)や河口の神であり、鎮座地の近江堂という地名は大水戸が転訛したものであるといわれています。創建は不明ですが、762年(天平宝字6年)には大和川(現在の長瀬川)の洪水で長瀬堤が決壊したことにより社殿が... 続きをみる
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【長瀬神社】(ながせじんじゃ)大阪府東大阪市 祭神 :伊弉諾命、伊弉册命、天照皇大神、素盞嗚命、保食神、少彦名命、菊理比売命、品陀和気命、菅原道真公。 由緒について 「当神社の氏地である旧長瀨村は、明治22年の町村制施工に際して、現在の大蓮、衣摺、柏田、渋川町、寿町、長瀬町、俊徳町、横沼、吉松、... 続きをみる
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【安居神社】(やすいじんじゃ)大阪市天王寺区 安居天満宮ともいう。安居天神、安居神社とも。創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたという... 続きをみる
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【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つ... 続きをみる
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【龍渕寺】(りゅうえんじ)は、浄土宗大通寺末寺、雲上山。慶長10年(1605)等意上人の開創。一歩中に入るとあちらこちらに狸を見ることができます。 住所:大阪市天王寺区城南寺町6-32
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【三光神社】(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神。天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀ります。社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったといわれています。かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫... 続きをみる
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【五條宮】(ごじょうのみや)大阪市天王寺区 四天王寺建立の折、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀る。 後、敏達天皇社と改められ、東成郡五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神としても信仰された。敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡という。 明治5年(1872年)、村社に列し、大正4... 続きをみる
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【庚申堂】(こうしんどう)大阪市天王寺区 四天王寺の南門から南へ300mの【庚申堂】(こうしんどう)は、庶民信仰に支えられる浪花の名刹で、かつては四天王寺の境内の一部。「庚申」は道教の影響を受けた日本人の信仰のひとつで、三尸(さんし)という虫に由来しています。人間の体内には3匹の虫が住みつき、その... 続きをみる
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【勝鬘院】(しょうまんいん)大阪市天王寺区 山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院、西国愛染十七霊場・第一番札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所。真言密教勝鬘流根本道場。寺伝によれば、この寺は聖徳太子が開いた施薬院に始まると伝えられ、鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権・北条時頼か... 続きをみる
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【齢延寺】(れいえんじ)と 【銀山寺】(ぎんざんじ)/ 大阪市天王寺区
【 齢延寺】(れいえんじ) 大阪市天王寺区 もともとは元和9年(1620)僧義春によって曹洞宗の寺として真田山に開創され、1623年にいまの場所、減聖寺坂を上がってすぐ左手のところへ移転。志摩国領主稲葉家の菩提寺でもあった。江戸時代は「齢延寺の彼岸桜」と呼ばれた桜の名所で、いまも大樹古墓の多い風格... 続きをみる
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【弥栄神社】(やえじんじゃ)大阪市生野区 この神社の周囲は住宅密集地で、東参道入口からは比較的長い参道が続きますが、表参道入口からはすぐに境内となります。それでも周囲には木々が残され、神社としての落ち着きや雰囲気は残されていました。境内正面には妻入りの拝殿、中門と透かし塀内に同じく妻入りの本殿が建... 続きをみる
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「宇賀御魂神」(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から... 続きをみる
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【比売許曽神社】(ひめこそじんじゃ)大阪市東成区 「下照比売命」を主祭神とし、速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀する。ただし、江戸時代の天明年間までは、牛頭天王を主祭神とする牛頭天王社であった。『古事記』には、新羅から来た阿加流比売神が難波の比売碁曽の社に坐すと記されてお... 続きをみる
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【西堤神社】(にしつつみじんじゃ)東大阪市 御祭神:天照皇大神、豊受大神。この神社は、元三十八社大明神と称し、当郷一円の郷社であった。現在は西堤の氏神、産土神、鎮守神として崇敬されています。「天照皇大神」は、明治4年伊勢神宮御分霊を祀る。三貴神の一社。国民の総氏神。「豊受大神(とようけのおおみか... 続きをみる
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【木村重成の像】(きむらしげなり) この像の案内板などは近くにありませんので見つけるのは難しいです。特に夏場は雑草が茂っていて見えにくいです。場所は、 東大阪市若江南 蓮城寺(大阪府東大阪市若江南町2丁目3-7)の近くで、東大阪若江南郵便局の南側にアスファルト駐車場があります。その奥の無道路地の空... 続きをみる