【足代神社】(あじろじんじゃ)大阪府東大阪 由来について: 「当神社は終戦後より足代の地に御鎮座ましまして天在諸神(あまにますのももくのおおかみ)が祀りされています。当初より足代に持住す正木直市氏が御奉仕して来られましたが此の度、当浅草寺二十周年記念を契機に御社二体一式を当寺へ寄贈されました。足代... 続きをみる
旅行のブログ記事
旅行(ムラゴンブログ全体)-
-
【布施戎神社】(えべっさん) 大阪府東大阪市市足代 1954年(昭和29年)、西宮神社から戎大神(ひるこのみこと)の御霊代(みたましろ)を勧請申し上げ、布施戎神社の祭祀がはじまった。周辺地域が商業地として発展するに伴い、さらに1988年(昭和63年)には、大阪の今宮戎神社から事代主命(ことしろぬし... 続きをみる
-
【鎮宅霊符神社】(ちんたくれいふじんじゃ)大阪府東大阪市 この神社の「鎮宅神」の祭祀は、火災予防の咒法(じゅほう)を行い、その咒符(じゅふ)をおすものです。家屋を火災や災難から守り、家内平穏無事を守るその呪法を行う神社です。祭神 :北辰鎮宅霊応如意天導。由緒については、「創建は今を去る五百年前応... 続きをみる
-
【水神宮】( すいじんぐう)東大阪市善根寺町 東大阪市善根寺町に鎮座する【水神宮】( すいじんぐう)へ向かう道の途中に「清光寺」があり、不動明王が祀られています。その横を通り過ぎ、さらに上へ行きます。鳥居が見えてきたら、そこが【水神宮】です。 この神社についての由緒由来は不明です。こんな山の中にあ... 続きをみる
-
【五條八幡宮】(ごじょうはちまんぐう)東大阪市五条町 由緒等は不明です。この神社は発見することはかなり難しいと思割れます。石標二本にはきちんと「五條八幡宮」と彫ってあります。ご神体と思われる八幡宮と彫られた石には注連縄かかっています。建物らしきものは無く祠もありません。 住所:大阪府東大阪市五条... 続きをみる
-
【大石神社】(おおいしじんじゃ)東大阪市山手町 ① 近鉄奈良線の額田駅から「七尾の滝」を経て生駒山頂に向かう谷川沿いの道にあります。 鳥居には「大石大明神」と彫られており、御神体と思われる大きな石の前には「大石明神」という額がかけられています。更に奥へ行くと「天命地蔵尊」があり、その横の建物には... 続きをみる
-
南都六宗の一つ「華厳宗」の大本山【東大寺】は、728年に聖武天皇の皇太子を弔うために建てられた「金鍾山寺」が前身です。741年に「国分寺建立の詔」が発せられたことにより、翌年には大和国の国分寺と定められ、日本全国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置づけられました。743年、聖武天皇は「... 続きをみる
-
【日吉神社】(ひよしじんじゃ) 大阪府東大阪市中野 由緒;御祭神;大山咋命(おおやまくいのみこと)。神社の西側の道が旧河内街道です。神社は、江戸時代以前には、高倉墓地(たかくらぼち)のところにあったと伝えられ、もと山王権現といって、大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀っています。安産の御札御礼を出... 続きをみる
-
【権現塚】と【恩蹕遺趾碑】(ごんげんつか)(おんひついしひ)大阪府東大阪市豊浦町
【権現塚】と【恩蹕遺趾碑】(ごんげんつか)(おんひついしひ)大阪府東大阪市豊浦町 徳川家康本陣跡之碑がある枚岡中央公園から西150mいったところには【権現塚と恩蹕遺趾碑】があります。「権現塚」は大坂夏の陣の時家康が一泊した中村四郎右衛門宅跡の一画にあります。また、家康の陣所であった由緒を記す、... 続きをみる
-
【市杵嶋姫神社】 ( いちきしまひめじんじゃ ) 大阪府東大阪市
【市杵嶋姫神社】 ( いちきしまひめじんじゃ ) 大阪府東大阪市 大阪府東大阪市客坊の氏神様です。明治五年まで今の客坊公民館の場所にあったそうですが、明治五年(1872)に枚岡神社(ひらおかじんじゃ)への合祀後、昭和十二年に現在の場所に移ってきたそうです。祭神は市杵嶋姫であり、この神様は実は弁財天... 続きをみる
-
-
【御野縣主神社】大阪府八尾市 由緒等の詳しい事は不明ですが、明治四十四年(1911)に「玉祖神社」に合祀された様です。明治初期には第十六区の無格社とされていますが、当時の万願寺村に鎮座する神社であったそうです。古い時代の石造物は殆んどありませんでしたが、一対の狛犬には、天保十二年(1841)の年... 続きをみる
-
【式部御野縣主神社 別院】(みのあがたぬしじんじゃ べついん)大阪府八尾市上之島町
【式部御野縣主神社 別院】(みのあがたぬしじんじゃ べついん)大阪府八尾市上之島町 この【式部御野縣主神社 別院】(みのあがたぬしじんじゃ べついん)は大阪府八尾市上之島町南1丁目71の「御野縣主神社」の南方に鎮座しています。この別院の 由緒等の詳しい事は不明です。明治四十四年(1911)に「玉祖... 続きをみる
-
【角田神社】(すみだじんじゃ)大阪府東大阪市角田 由緒について;平成七年に新社殿建設とあり、平成八年に旧神社跡地に付き昔より参詣の多い柳谷観音を祭ることを決定したとある。 この地区に中河内立願講があり、百年以上前より毎年四月六日に講詣りがされている。眼病、諸病で悩む人々が高齢者で、本山への参詣が... 続きをみる
-
【彌栄神社】(いやさかじんじゃ 、通称:やえじんじゃ)大阪府東大阪市
【彌栄神社】(いやさかじんじゃ 、通称:やえじんじゃ)大阪府東大阪市 由緒について; 御祭神は、「素盞鳴命」・「天穂日之命」。この 神社は旧大和川支流の東岸近くに位置し、もとは牛頭天王)と称されていました。 創建年代は不明ですが、祭神は須佐之男命です。伝えによれば、天正の頃、石山合戦により村落... 続きをみる
-
【森河内八幡神社】( もりかわちはちまんじんじゃ)大阪府東大阪市
【森河内八幡神社】( もりかわちはちまんじんじゃ)大阪府東大阪市 正式名称は【八幡神社】。 JR放出駅の南東400mの場所に鎮座します。御祭神は誉田別命と思われますが創建時期などは不明。 境内にある石造物は近年のもの以外は享保、天保年間のものが多く鳥居は元禄八年(1695)に建てられたものです。 ... 続きをみる
-
【椿神社】(つばきじんじゃ)は東大阪市三島に鎮座しています。赤い鳥居に狛犬の替わりに狛狐が置かれています。 境内には神社の名の由来と思われる椿の木がありますが、東大阪市の保存樹であるクスノキの大木もあります。 石造物は天保四年(1833)の燈籠と二基ある手水鉢の内、年号の確認出来なかった一基に「加... 続きをみる
-
【山科神社】(やましなじんじゃ)は東大阪市七軒屋に鎮座します。別称、【山科大明神】(やましなだいみょうじん)です。 由緒等は不明です。大正四年(1915)に「御厨天神社」に合祀され、昭和五十六年(1981)に現鎮座地に復社しています。社名は中世この辺りの領家であった「山科家」に由来するそうです。鳥... 続きをみる
-
【盾津宇治縣神社】(たてつうじかたじんじゃ)大阪府東大阪市川田 栗原神社(くりはらじんじゃ)から宇波神社(うばじんじゃ)へ向かう途中の北宮小学校の北側の側道に面して鎮座しています。 由緒深そうな名前ですが、境内地はありません。鳥居と本殿があるだけです。栗原神社から宇波神社へ向かう道に「吉野神社跡... 続きをみる
-
東大阪市本庄に鎮座する【六郷神社】(ろくごうじんじゃ)です。 由緒について;御祭神;應神天皇、仲哀天皇、神功皇后。当神社の創建年代は不詳なれども、往古は、八幡宮又は八幡神社と称した。大正十一年刊行の大阪府全誌に依ると、六郷神社(ろくごうじんじゃ)は、大字本庄の中央字宮の内にあり、もと八幡神社と称し... 続きをみる
-
【産土神社】(うぶすなじんじゃ)大阪府東大阪市 この【産土神社】(うぶすなじんじゃ)は鴻池新田開発された地にある神社です。 由緒について;当神社の創建年月日は不詳ですが、伝承によると仁徳天皇(五世紀)の時代に、神武天皇のご東征のとき、鴻池の地がまだ海辺であり、初めて御足をつけられた場所に建てられ... 続きをみる
-
-
【宇波神社】(うわじんじゃ)大阪府東大阪市 北方面口にあり延喜式の神社にして埴安姫命を祀れり、今は熊野と称す。創建の年代は詳ならず。河内国内神名帳には神位を従三位と記せり、明治五年村社に列せられる。境内は弐百参拾坪を有し本殿の他に拝殿神饌しんせん所を存す。末社は吉野神社水分神社を有す。 【宇波神... 続きをみる
-
【稲葉神社】(いなばじんじゃ)大阪府東大阪市稲葉 由緒について; 御祭神;武内宿禰命。当神社は、寛文7年(1668年)の創建にて稲葉全域の氏神様である。その以前は吉田春日神社の氏子であったという。創建と当初は、本殿、拝殿共桧皮千鳥唐葺きて、極彩色の荘厳な社殿であったが、昭和9年の室戸台風で全壊し、... 続きをみる
-
【シラミ地蔵】大阪府八尾市 大阪府八尾市 東山本町5丁目、旧の万願寺村の北の入り口に道に面して地蔵堂があり、これをシラミ地蔵といいます。江戸時代前期頃の阿弥陀像です。花崗岩製の総高44cm、幅25cmの舟形光背に像高24cmの阿弥陀像を陽刻しています。堂の向かいに常夜灯一基が立っていました。善光寺... 続きをみる
-
【日下神社】(くさかじんじゃ)大阪府東大阪市日下町 この【日下神社】(くさかじんじゃ)の社殿は日下古墳の墳丘上にあります。 石造物も狛犬はありませんが、鳥居、一対の燈籠、手水鉢等があり、本殿(小祠)も石造となっています。 御祭神は、「若日下部王」(わかくさかべのみこ)。「若日下部王」は、仁徳天皇の... 続きをみる
-
【阪合神社】(さかあいじんじゃ)大阪府八尾市小阪合町 【阪合神社】さかあいじんじゃ)は,近鉄(大阪線)河内山本駅の西南西500メートルに鎮座する。 社地は幹線道路に近いわりに静寂が保たれている『延喜式』(神名帳)所載の「坂合神社二座」(河内国若江郡二十二座のうち)に比定される古社である。「坂合」は... 続きをみる
-
【弥栄神社】(やえいじんじゃ)大阪府東大阪市宝持 明治五年(1872)に「中小阪弥栄神社」に合祀され、その後の明治十二年(1879)に復社しています。この神社の鳥居は再建されたものだそうで(再建時期未確認)以前の鳥居の年号である、寛政四年(1792)の年号と施主の名が刻まれています。 拝殿前の一対... 続きをみる
-
【八幡神社】(やはたじんじゃ)「上小阪八幡神社 」大阪府東大阪市上小阪
【八幡神社】(やはたじんじゃ)「上小阪八幡神社 」大阪府東大阪市上小阪 この神社は東大阪市上小坂の住宅地域にあります。近鉄小阪駅周辺の小阪よりも南側になります。由緒については、詳しいことについては不明ですが、慶長年間(1596~1615)に創建されたものと思われます。祭神には、足仲彦命、日本武尊の... 続きをみる
-
【三吉大明神】(みよしだいみょうじん) 大阪市生野区 大阪市生野区小路東1丁目14に 【三吉大明神】(みよしだいみょうじん) の祠と地蔵尊の祠が並んで鎮座しています。 三吉大明神の祠は桧皮葺(ひわだぶき)の立派なもので地蔵尊の祠のふっくら優しい顔の地蔵尊です 由来が書かれた説明板などがないので解り... 続きをみる
-
【西脇口地蔵堂】(にしわきぐちじぞうどう)は、南口地蔵とも呼ばれ、西脇口(南口)門の傍らにあったもので、この木戸口より南下すると、堺口の住吉、堺へ行く道と合流する。地蔵堂前の東西の道は環濠跡である。 (説明板により) 場所:大阪市平野区本町4丁目5(「本町商店街」の南側) #じゃらん #じゃらんネ... 続きをみる
-
【池島地蔵石仏】(いけしまじぞうせきぶつ)大阪府東大阪市 大阪府東大阪市池島町に浄慶寺の門前に地蔵尊があります。 この地蔵尊は【池島地蔵石仏】とも呼ばれ、天文十五年(1546)の年号と梵字(十三仏の種子)を刻んだ十三個の月輪によって十三仏を表し、地蔵信仰と十三仏信仰が一つの石仏に表されている珍しい... 続きをみる
-
-
【八劔神社】(やつるぎじんじゃ)は玉川小の西約500mに鎮座しています。境内にはいると拝殿前には狛犬ではなくお狐様が居ます。案内を見ると元々稲荷神社の鎮座していた社地に、後から八劔大明神が奉祀されたようです。 御祭神:宇賀御魂之神(稲荷の祖神)・味耜高彦根之命(八劔大神) 由緒:境内は古代大和川... 続きをみる
-
【石造地蔵菩薩半跏像】(せきぞうじぞうぼさつはんかぞう 東大阪市
「彌榮神社」の前を東に100mほど行くと、家並の角に『中小阪地蔵堂』があり、その中に【石造地蔵菩薩半跏像】があります。 【石造地蔵菩薩半跏像】について; 地蔵堂内に安置される地蔵菩薩像は岩座を含めて、高さ106㎝、座高72㎝を測り、左足を蓮華台にしつらえ、左足を安座し、左手を左膝の上に置いた「半... 続きをみる
-
東大阪市上石切町の【四光地蔵尊】と【爪切地蔵尊】(つきりじぞうそん)です。「 一番大師堂(いちばんたいしどう)」と道をはさんで存在します。東大阪市上石切町に鎮座する「石切神社上の宮(いしきりじんじゃかみのみや)」や生駒山頂へのハイキングコースの途中にあります。近鉄奈良線の石切駅を降りて山側に向かっ... 続きをみる
-
【石切劔箭神社上之社】(いしきりつるぎやじんじゃうえのしゃ)大阪府東大阪市
大阪府東大阪市にある【石切劔箭神社上之社】(いしきりつるぎやじんじゃうえのしゃ)です。 石切駅からほど近い坂の上に鎮座しており、石切劔箭神社下之社(本社)の奥の院に当たります。祭神は本社と同様に、饒速日尊(ニギハヤヒ)・可美真手命(ウマシマデ)の二柱の神を祀っており、皇紀2年(神武天皇即位2年)、... 続きをみる
-
【道祖神】( どうそしん )大阪府四條畷市 旧170号線の南側、西明寺の近くにひっそりとこの【道祖神】があります。境内の隅に石仏と石の灯篭があります。この【道祖神】についての由緒等は不明です。一見、民家の庭のようにも見えます。四条畷市のこの辺りには道祖神のように小さな社がよく見られます。 場所:... 続きをみる
-
大阪府大東市の【三箇菅原神社】近くで発見しました。民家の門の入口に鳥居が立っているのかと思いました。鳥居の額には何か「・・・稲荷大明神」のように書かれてあるようですが読めませんでした。 #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #むらごんブログ #ムラゴン #Sakamoto119
-
【忍陵神社】(しのぶがおかじんじゃ)大阪府四條畷市 式内社で、旧社格は村社。神社名は、附近にある忍ケ丘駅の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもある。忍岡古墳の丘の上にあり、戦国時代に岡山城が築かれた地と伝えられる。藤原鎌足を主祭神とし、熊野大神・品陀和氣命・馬守大神・大... 続きをみる
-
【両皇大神社】(りょうこうたいじんじゃ)大阪府大東市 広い公園の中に玉垣で囲まれた境内域がありますがお詣り出来ないように門扉が閉まっています。 御祭神:天照皇大神、豊受大神、菅原道真公。当社は大東市役所の北方一五〇メートルのところに鎮座す。別名、「深野神社」とも呼ばれている。当社の由緒は詳らかで... 続きをみる
-
【孝徳天皇陵】(こうとくてんのうりょう)大阪府南河内郡太子町
【孝徳天皇陵】(こうとくてんのうりょう)大阪府南河内郡太子町 大化改新後に即位した第36代天皇を埋葬した陵墓。 『日本書紀』は、白雉5年(654)10月10日、第36代・孝徳天皇(在位645 - 654)が難波宮の正殿で崩御され、12月8日大坂磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)に埋葬したと記す。... 続きをみる
-
【科長神社】(しながじんじゃ)大阪府南河内郡太子町 式内社で、旧社格は郷社。風の神である級長津彦命・級長津姫命を主祭神とし、以下の神を配祀・合祀する。 配祀 -- 素盞嗚命・品陀別命・建御名方命・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・天照大神 合祀 -- 天御柱国御柱大神・天児屋根命・品陀別命・八坂大神... 続きをみる
-
-
【厳島神社】(いつくしまじんじゃ)大阪府松原市 縁起について:厳嶋神社は一津屋五丁目八番九号にあり、地名は「小字弁天(こあざべんてん)」と云う、祭神は天照大神の第三の姫、宇賀神(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))の分神で海の守り神と云い、神仏混淆時代には七福神唯一の女神、弁財天(財宝の神)とし... 続きをみる
-
大阪府松原市の【布忍神社】から橋を渡ったところで赤い鳥居が目につきました。太い神木が1本あります。この神社の由緒など詳細は不明です。傾いて立っている鳥居がいい感じです。 場所:大阪府松原市北新町1丁目7 (グーグルマップのストリートビューで鳥居を見ることができます。) https://kazu10... 続きをみる
-
大阪市平野区の【旭神社】(あさひじんじゃ)前に祠 があります。旭神社の鳥居の道を通る度に気になるのですが、詳細は不明で調査中です。旭神社とは関係ないと思います。小さな祠の中にはキツネさんがいるので、稲荷神社になると思うのですが、よくわかりせん。 木製の祠自体は古いですが、狭い境内は掃除されていて管... 続きをみる
-
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)は、大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「... 続きをみる
-
【太川神社】(おおかわじんじゃ) 大阪府八尾市 国道25号線沿いの大阪府八尾市南太子堂に【太川神社】(おおかわじんじゃ)があります。この神社の由緒について(境内案内板より);「御祭神;素盞嗚命、保食神。太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂6丁目11番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地... 続きをみる
-
【櫻宮神社】(さくらのみやじんじゃ) 大阪市都島区 兵火洪水の難にあい神宝記録が無くなってしまったことから創建は不詳ですが、元は東生郡野出「小橋」桜の馬場字「宮田」(東成郡野田村)に氏神として奉斎したのが始まりとされます。 豊臣氏が桜を愛し、馬場に馬を進めて落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行なったと... 続きをみる
-
【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区 街道沿いのまちなみが残る大今里の住宅地から少し入ると、妙法寺と並んで熊野大神宮(くまのだいじんぐう)があります。 熊野大神宮の歴史は古く、聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれました。明治維新後の神仏分離で現社名に改めま... 続きをみる
-
【大仁八阪神社】(だいにんやさかじんじゃ))は大阪市北区大淀中に鎮座する神社。 通称、大仁八阪神社。 このあたりは、6世紀頃に百済から派遣された五経博士の王仁(わに)公にゆかりの地で王仁が転じて、大仁(だいにん)と呼ばれるようになった場所です。そのころに、神社がすでに創建されていたようです。その後... 続きをみる
-
【廣田神社】(ひろたじんじゃ)大阪府浪速区 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。天照大神の荒魂)を祀る。もと天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)ですが創建年代は不詳です。古い由緒を持つとともに江戸時代には廣田の杜といわれ、うっそうとした森のな... 続きをみる
-
【住吉神社】(すみよしじんじゃ)大阪府八尾市東山本町 大阪線河内山本駅から北東へ500m程の距離にあり、駅前の「山本八幡宮」の北側の橋を渡り東へ信貴山の方向に向いて山本新田会所跡から一本東側の道を東へ進むと程なく北へ入る道があり、中へ入って直ぐにあります。 御祭神;底筒男命、中筒男命、表筒男命... 続きをみる
-
【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区
【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区 平野公園の一角に鎮座されている、【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)は、主祭神 阿加流比売神(あかるひめのかみ)をお祀りしている神社です。現在は、杭全神社の境外末社となっていますが、かつては、住吉大社の末社でした。由緒につい... 続きをみる
-
【杭全神社】(くまたじんじゃ)大阪市平野区 主祭神 :素盞嗚尊 熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊) 当社の由緒は、平安の初期、征夷大将軍坂上田村磨の子、広野麿が枕全荘を荘園として賜ってこの地に居を構え、その子当道が862年(貞観4年)に氏神として素盞嗚尊を勧請し祇園社を創建したのが現在の... 続きをみる
-
【全興寺】(せんこうじ)大阪市平野区 札所等 :おおさか十三仏霊場 第7番。摂津八十八ヶ所霊場 第39番 【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動... 続きをみる
-
【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区
平野公園の一角に鎮座されている、【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)は、主祭神 阿加流比売神(あかるひめのかみ)をお祀りしている神社です。現在は、杭全神社の境外末社となっていますが、かつては、住吉大社の末社でした。由緒について;当社の祭神、赤留比売命は新羅(しらぎ)から来た女神で天之日... 続きをみる
-
【木村重成の像】(きむらしげなり) この像の案内板などは近くにありませんので見つけるのは難しいです。特に夏場は雑草が茂っていて見えにくいです。場所は、 東大阪市若江南 蓮城寺(大阪府東大阪市若江南町2丁目3-7)の近くで、東大阪若江南郵便局の南側にアスファルト駐車場があります。その奥の無道路地の空... 続きをみる
-
【小楠公御墓所】(しょうなんこうごぼしょ)は、大阪府四條畷市にある南北朝時代の南朝の将、楠木正行の墓。墓所のある場所は、楠木正行が1348年(南朝:正平3年、北朝:貞和4年)、四條畷の戦いで戦死した地。現住所表記では四條畷市雁屋南町27番5号。正行の父楠木正成が明治政府によって「大楠公」(だいなん... 続きをみる
-
【住吉平田神社】(すみよしひらたじんじゃ) 大阪府四條畷市 四条畷駅を降りて道路に立つ白く大きな鳥居をくぐり、山の方を目指して真っ直ぐの坂を上った所にある四条畷神社の参道階段手前から北へ5分程歩くと、住吉平田神社へ着きます。 この神社の由緒について; 当社の創建は『神社由緒記』には「平安初期の寛平... 続きをみる
-
【北條神社】(ほうじょうじんじゃ) 大阪府大東市 「祭神 誉田別命(品陀別命)・菅原道真公 。例祭 十月二十日・二十一日 。 祭神は京都北野神社の御神木で像(註1)を刻んだものであると、当社の古記録にある。 即ち時(註2)の天皇の御詔勅に「北野の神木で神像を作り、漂流地に祀るべし」とあったので数多... 続きをみる
-
【宿院頓宮】(しゅくいんとんぐう)は、大阪府堺市堺区にある頓宮・神社。由緒;住吉大社の御旅所として設置され(年代不詳)、住吉の「宿居」から転じて「宿院」と呼ばれるようになったと言われる。古くから夏の大祓日に住吉大社から神輿を迎え、境内西側にある飯匙堀で「荒和大祓神事」が行われてきた。明治以降は大鳥... 続きをみる
-
【開口神社】(あぐちじんじゃ)堺市堺区 通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれている。堺南組(大小路以南)の氏神社。式内社で、旧社格は府社。祭神;塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくくにたまのかみ)を祀る。塩土老翁神は住吉大社の住吉... 続きをみる
-
【龍神堂】(りゅうじんどう)「白龍大神」大阪府堺市 由緒について;天明6年(1786)、人々は港の土砂除去を出羽庄内善宝寺の龍神尊に頼り、37日間の祈祷の後、経文を石に刻んで海中に埋めました。天保のころになってその部分が深くなり港は繁栄を取り戻したと伝えられています。龍神堂はこの時建立されました。... 続きをみる
-
【高砂神社】 (たかさごじんじゃ ) 大阪市住之江区 元文2年(1737年)、北島新田開墾に際して加賀屋甚兵衛により創建された。新田開発者は例外なく鎮守の神社を建てたもので甚兵衛は出身地である河内国石川郡喜志村(富田林市)の産土神、水分神(みくまりのかみ)を勧請した。天保6年(1835年)に本殿が... 続きをみる
-
【烏帽子形八幡神社】(えぼしがたはちまんじんじゃ)河内長野市
【烏帽子形八幡神社】(えぼしがたはちまんじんじゃ)は、大阪府河内長野市喜多町305に所在する神社。旧社格は村社。 祭神:素盞鳴命、足仲彦命、神功皇后、応神天皇。 烏帽子形山には楠木七城(河内七城)のひとつとされる烏帽子形城という城があった。楠小二郎がこれに拠い、城の鎮護として創祀したものと伝えられ... 続きをみる
-
【小山産土神社】(こやまうぶすなじんじゃ) 大阪府藤井寺市 室町時代に神宮寺として再建され、祭神を牛頭天王としていましたが、現在は産土神社として素戔鳴命と櫛稲田姫を祀っています。 本殿は一間社流造で、主要部分は創建当時の状態をよく留めており、藤井寺市内で最古級の神社建築として貴重です。 産土とは... 続きをみる
-
【志紀長吉神社】(しきながよしじんじゃ) 大阪市平野区 延喜式内の神社で祭神は長江襲津彦命、事代主命の二座である。明治5年に旧郷社に列せられたころは、旧長吉、瓜破、恵我、大正、藤井寺の各村の総氏神であったが、現在は長吉一円の氏神である。大坂夏の陣のとき、豊臣方の武将真田幸村がこの神社に刀剣と軍旗を... 続きをみる
-
【東弓削神社】(ひがしゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 弓削氏の祖神である天日鷲翔矢命と物部氏の祖神の彌加布都神、比古佐自布都神の二座をまつる延喜式内社で、河内国でも枚岡、恩智社に次ぐ三指に数えられた大社であった。弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とする豪族で、弓矢などの武器の製作にたずさわる弓削部... 続きをみる
-
【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市 別称は【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)。碑文に書かれているのは、「阪神大震災で鳥居等大きく被災しその債権並びに氏子一丸の賛助と多大の寄進を以って鳥居の奉納併せて境内の大整備を完遂したことを慶び氏子全員の家運隆昌を祈願しここに記す。」 この【子守社】の道路を挟... 続きをみる
-
【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市 熊野神社とも呼ばれます。熊野権現を祀ります。山麓なので正面入り口からは階段で上がっていく高台に鎮座しているように感じます。 権現社の沿革:「慶長年間(1596~1614)に、熊野権現を勧請」。寛政2年(1790)意満寺の南西端にあった愛宕神社を合祀。鎮座地... 続きをみる
-
【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作... 続きをみる
-
【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部 ◆御劔神社のしるべ 此の地、古くは河内国若江郷刑部郷と言い訓を聞けば刑部(おさかべ)は、備中国賀夜郷、伊勢国三重郡等の刑部郷の例により於佐加部と読むべしと伝えられその遺構であると言われている。第十九代允恭天皇の忍坂大中女命の御名代として定められた民... 続きをみる
-
【顕証寺】(けんしょうじ)は、大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。久宝寺御坊ともいう。 かつて、周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。伝承によれば、久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじん... 続きをみる
-
【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市 当寺は龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年、(一三四一)辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、宗門きっての古刹です。この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で、念佛勧進聖堂場とし... 続きをみる
-
【竹淵神社】(たこちじんじゃ)大阪府八尾市 天照皇大神宮を祭る。昔は水田の中、周囲を濠で囲まれた神社であったが、住宅地が接近してきたため、昭和44年、周濠(宮池)の一部を埋め立てて神域を広くし、まわりの住宅地との間に緑地帯をつくった。この宮池には龍神が住むと言い伝えられている。神社の森にある楠の大... 続きをみる
-
【跡部神社】(あとべじんじゃ)大阪府八尾市 由来について:「当神社は延喜式内社(今より約阡八十年前)人皇天皇第六十代醍醐天皇時代に延喜年間と言ふ年号が有り、通稱平安時代又は藤原時代と言はれております。其の初期にお祀りされておりましたのを今の跡部神社であり、その時に有りました神社を式内社と言はれてお... 続きをみる
-
【西郡天神社】(にしこおりてんじんじゃ)大阪府八尾市泉町 由緒について; 「昔の由緒には、当社の創建は天文年間(1532~1553の間)とされ、明治5年には村社に列社し、境内地996坪との事であるが古代国土形築の神道考古学的な観念から推察するには、この地域にはかなり古くより、御心鎮座の可能性もあ... 続きをみる
-
【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)大阪府八尾市 この【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)の付近には古い町並みが数多く残っています。もとは「免田神社」と呼ばれてました。 【太田八幡宮】の由緒については、 「御祭神;品陀別命 免田神社は中河内郡大正村大字大田字免田にあり。 品陀別命を祀れり。 由... 続きをみる
-
【穴太神社】(あのうじんじゃ)・【廃千眼寺跡】(はいせんがんじあと )大阪府八尾市
【穴太神社】(あのうじんじゃ)【廃千眼寺跡】(はいせんがんじあと )大阪府八尾市 当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地といわれる。当社は古代氏族穴太氏の一族の祖紳を祭る産土神で、境内に残る寺跡はその氏寺であつたと考えられる。同寺は河内鑑名所記、和漢三才図会... 続きをみる
-
【祇園社】 恩智石器時代遺跡(おんぢせっきじだいいせき)大阪府八尾市
「祇園社」 / 恩智石器時代遺跡(おんぢせっきじだいいせき)大阪府八尾市 この地、天王の森は恩智神社のお旅所でこの森を中心として東高野街道から恩智川に至る付近一帯は府下でも有名な弥生時代の遺跡で大阪府の建てた碑がある。近年縄文式土器も出土している。 今日まで地下およそ三メートルの辺から種々の石器土... 続きをみる
-
【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市 式内社(名神大社)で、河内国二宮であると伝える。旧社格は府社。雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる... 続きをみる
-
【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)大阪府八尾市 この石仏は母乳の出ない婦人が祈願すれば母乳が出るとか、歯痛の時には直してくれるとも言われているそうです。 場所:大阪府八尾市山本町北 「貝塚地蔵尊」(かいづかじぞうそん)から歩いて数分のところに、【三十八神社】(みそやじんじゃ)があります。
-
【神劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市 二百二十五年以前の元文元年辰歳国分村反師枩井四郎兵衛らによって造営され素戔嗚命、保食神の二神を祀り田井中村の氏神として永く村民の尊敬を集め弥栄えてきた。往時の旧大和川縁辺に当たる現東老原地区の五条宮跡附近から奈良朝時代の古瓦が発見されたことからみて ... 続きをみる
-
【子守社】(こもりしゃ)別称:【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)/ 大阪府八尾市
【子守社】(こもりしゃ)別称:【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)/ 大阪府八尾市 別称は【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)。碑文に書かれているのは、「阪神大震災で鳥居等大きく被災しその債権並びに氏子一丸の賛助と多大の寄進を以って鳥居の奉納併せて境内の大整備を完遂したことを慶び氏子全員の家運隆昌を祈... 続きをみる
-
【寶殿神社】(ほうでんじんじゃ) 大阪府八尾市 室町時代河内守護職であった畠山氏の小山砦から鬼門の位置にありましたので、その守護神として創建されたと伝えられ、沼の産土神です。本殿は一間社流造で覆屋内に鎮座し江戸時代初期のもので、市内に残存する古い建築様式の一つであり同時代のものと考えられる珍らしい... 続きをみる
-
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)大阪府八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。創建の年代は不詳であるが、古墳時代以前に遡ると考えられる。祭神は、古来は... 続きをみる
-
【彌刀神社】(みとじんじゃ:弥刀神社)大阪府東大阪市 祭神は速秋津日子神・速秋津比売神という水戸(港)や河口の神であり、鎮座地の近江堂という地名は大水戸が転訛したものであるといわれています。創建は不明ですが、762年(天平宝字6年)には大和川(現在の長瀬川)の洪水で長瀬堤が決壊したことにより社殿が... 続きをみる
-
【五條宮】(ごじょうのみや)大阪市天王寺区 四天王寺建立の折、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀る。 後、敏達天皇社と改められ、東成郡五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神としても信仰された。敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡という。 明治5年(1872年)、村社に列し、大正4... 続きをみる
-
【庚申堂】(こうしんどう)大阪市天王寺区 四天王寺の南門から南へ300mの【庚申堂】(こうしんどう)は、庶民信仰に支えられる浪花の名刹で、かつては四天王寺の境内の一部。「庚申」は道教の影響を受けた日本人の信仰のひとつで、三尸(さんし)という虫に由来しています。人間の体内には3匹の虫が住みつき、その... 続きをみる
-
【西堤神社】(にしつつみじんじゃ)東大阪市 御祭神:天照皇大神、豊受大神。この神社は、元三十八社大明神と称し、当郷一円の郷社であった。現在は西堤の氏神、産土神、鎮守神として崇敬されています。「天照皇大神」は、明治4年伊勢神宮御分霊を祀る。三貴神の一社。国民の総氏神。「豊受大神(とようけのおおみか... 続きをみる
-
【木村重成の像】(きむらしげなり) この像の案内板などは近くにありませんので見つけるのは難しいです。特に夏場は雑草が茂っていて見えにくいです。場所は、 東大阪市若江南 蓮城寺(大阪府東大阪市若江南町2丁目3-7)の近くで、東大阪若江南郵便局の南側にアスファルト駐車場があります。その奥の無道路地の空... 続きをみる
-
【石田神社】(いわたじんじゃ)大阪府東大阪市 【石田神社】(いわたじんじゃ)は、大阪府東大阪市岩田町にある神社。現在は住宅地になっているが、当社北側に昭和38年(1963年)頃まで直径2メートルたらずの円錐形の二つの小塚が水田の中にあった。東の塚を「幸神塚」といい、西の塚は「無名の塚」と呼ばれた。... 続きをみる
-
大阪府柏原市清洲に鎮座する【白親大神】(はくちかおおかみ)。 案内板には、『白親大神は、くちかおおかみ祭祀の由来 昭和二十五年頃この清洲地区に大きな災害があり、以後災害のないことを祈願してこの地区にお祭りされたものです。伊勢の天照大神と猿田彦大神とともにお祭されております。』と書かれてあります。現... 続きをみる
-
【西郡天神社】(にしこおりてんじんじゃ)大阪府八尾市 【西郡天神社】(にしこおりてんじんじゃ)は、大阪府八尾市泉町にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。前後区時代の天文年間(1532年-1555年)の創建と伝わるが、それよりも以前との説もある。当地は、錦織連の居住地だった。 錦織連は百... 続きをみる
-
【都留美嶌神社】(つるみじまじんじゃ)は,近鉄(大阪線)恩智駅の南800メートルに鎮座する。 社地の背後に玉串川(旧大和川)が流れています。 創立の経緯や祭神も不明であるが,『延喜式』(神名帳)の「都留美嶋神社」(河内國若江郡二十二座の一)に比定される古社です。 いくつかの資料によると,当社はかつ... 続きをみる
-
大阪府大阪市天王寺区玉造本町【三光神社】(さんこうじんじゃ)の正面鳥居の前の道を挟んでレトロな建物がありました。現在は取り壊されています。当時はアパートだったと思います。「足高会」?の看板が気になってました。 【三光神社】(さんこうじんじゃ) 天王寺区の宰相山公園にあり、仁徳天皇・天照大神・月読命... 続きをみる
-
【藤吉大明神】(ふじよしだいみょうじん)大阪府東大阪市 この神社を見つけるのは苦労しました。以前あった場所から移転していました。 由来等の詳しい事は全く分かりませんが、東大阪市柏田本町の柏田児童公園内に鎮座しています。横には地車の大きな倉庫があります。この【藤吉大明神】は、以前、柏田児童公園近く... 続きをみる
-
東大阪市高井田本通に鎮座する【尊政神社 】(そんせいじんじゃ)です。数年前まではこのような神社はなかったと思います。鳥居もお社も何もかも新しく、庭木も整えられ末社も二社あり、とても豪華な神社です。この辺りの神社仏閣で最も綺麗と思います。由緒などの案内板はないようです。普通に中に入って参拝しましたが... 続きをみる
-
【箕輪久方稲荷】(みのわひさかたじんじゃ)大阪府東大阪市 この神社に関する由緒等は不明です。社は一見、地蔵堂のように思えますが、鳥居には「久方大神」となっています。稲荷神を祀っています。隣の家にかけてある水車はこの神社には関係ないですが、田んぼに水を入れるための水車らしいです。この神社の横、道を挟... 続きをみる
-
【羽呉神社】(はきもの神社)大阪市浪速区日本橋東 こ神社は、大阪市天王寺区夕陽丘町にある「大江神社」の境外末社にあたります。高い建物に挟まれ前が阪神高速の高架なので見つけ難い場所に鎮座しています。この辺りには「でんでんタウン」がありますが、この【羽呉神社】(はきもの神社)は「はきはきタウン」と呼ば... 続きをみる
-
【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)「通称 :白坂神社」大阪府柏原市
【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)大阪府柏原市 式内社で、旧社格は村社。地元では通称 「白坂神社」と呼ばれ、地図や看板でもそのように表記されている。 宿奈彦根命・高皇産霊命・級戸辺命を主祭神とする。『神社覈録』や『特選神名牒』では「祭神不詳」となっている。 創建の由緒は不詳である。近くにある... 続きをみる
-
【柏原黒田神社】(かしわらくろだじんじゃ) 大阪府柏原市 「柏原黒田神社」は、1969年(昭和44年)に藤井寺市にある「北条黒田神社」より分社された神社で、過去は別名を塩殿神社(ショウデンさん)と言い、海運、広くは、交通安全の神として塩土老翁をまつっていた。分社後は「黒田神社」のご祭神もおまつりし... 続きをみる