【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)は、大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「... 続きをみる
社寺仏閣のブログ記事
社寺仏閣(ムラゴンブログ全体)-
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【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作... 続きをみる
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【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」大阪府八尾市
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」大阪府八尾市 この地は、物部氏の住地であり、この社はその祖神をまつったものである。北木本と木本に同名の二社があり、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されている。守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」を設けたとき、城中に榎木があったので、... 続きをみる
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【顕証寺】(けんしょうじ)は、大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。久宝寺御坊ともいう。 かつて、周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。伝承によれば、久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじん... 続きをみる
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【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市 当寺は龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年、(一三四一)辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、宗門きっての古刹です。この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で、念佛勧進聖堂場とし... 続きをみる
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【穴太神社】(あのうじんじゃ)・【廃千眼寺跡】(はいせんがんじあと )大阪府八尾市
【穴太神社】(あのうじんじゃ)【廃千眼寺跡】(はいせんがんじあと )大阪府八尾市 当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地といわれる。当社は古代氏族穴太氏の一族の祖紳を祭る産土神で、境内に残る寺跡はその氏寺であつたと考えられる。同寺は河内鑑名所記、和漢三才図会... 続きをみる
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【貝塚地蔵尊】(かいづかじぞうそん)大阪府八尾市 この石仏は母乳の出ない婦人が祈願すれば母乳が出るとか、歯痛の時には直してくれるとも言われているそうです。 場所:大阪府八尾市山本町北 「貝塚地蔵尊」(かいづかじぞうそん)から歩いて数分のところに、【三十八神社】(みそやじんじゃ)があります。
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【シュミイ地蔵】大阪府八尾市 東高野街道沿いの恩智城址への登り口脇にある地蔵です。名前の由来は不明ですが、地元恩智の有志が結集して菩提追善のため、彼岸の中日に建立したもの。高さ一三六センチメートル、幅六七センチメートル材質は花崗岩。像の左右に次の銘文がようやく読みとれます。「良盛長盛道梁妙見也阿... 続きをみる
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【加津良神社】(かつらじんじゃ)大阪府八尾市萱振町 この神社は、大阪府八尾市萱振町の旧八尾街道沿いにあります。近鉄大阪線八尾(八尾市)とJR学研都市線住道(大東市)を結ぶバスが走っています。バスと乗用車がやっとすれ違う狭い道路ですが、結構な通行量です。この【加津良神社】の向かいの小さな公園内に【境... 続きをみる
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【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)/ 大阪府八尾市
【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)は、大阪府八尾市大字教興寺にある神社。 これら二つの神社は隣接しており、境内の境界線もはっきりせず、別々の神社であることに気が付き難いです。 天照大神高座神社は八尾市の南東部・高安山の中腹に位置する。旧... 続きをみる
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【樟本神社】(くすもとじんじゃ)と【稲村城(稲城)】八尾市木の本
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記される式内社であり、現在の八尾市木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に鎮座している。 八尾市木の本 「樟本神社」 用明天皇の御代(約1400年前)物部守屋公... 続きをみる
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【瑠璃光寺】(るりこうじ)と【若倭姫神社】 ( わかやまとひめじんじゃ ) 大阪府柏原市
【瑠璃光寺】(るりこうじ)は、大阪府柏原市山ノ井町にある仏教寺院。曹洞宗永平寺の末寺で山号は「医王山」。 正式には「医王山薬師院瑠璃光禅寺」と称する。天平年間に行基が開創、本尊の薬師如来像は行基の作と伝わる。かつては『七堂伽藍を具備せし巨刹なり』といわれ、大規模な寺院だったが、織田信長の信貴山城攻... 続きをみる
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【長瀬神社】(ながせじんじゃ)大阪府東大阪市 祭神 :伊弉諾命、伊弉册命、天照皇大神、素盞嗚命、保食神、少彦名命、菊理比売命、品陀和気命、菅原道真公。 由緒について 「当神社の氏地である旧長瀨村は、明治22年の町村制施工に際して、現在の大蓮、衣摺、柏田、渋川町、寿町、長瀬町、俊徳町、横沼、吉松、... 続きをみる
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【安居神社】(やすいじんじゃ)大阪市天王寺区 安居天満宮ともいう。安居天神、安居神社とも。創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたという... 続きをみる
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【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つ... 続きをみる
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【大佛念寺】(だいぶつねんじ)大阪市平野区 1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場といわれる。... 続きをみる
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【龍渕寺】(りゅうえんじ)は、浄土宗大通寺末寺、雲上山。慶長10年(1605)等意上人の開創。一歩中に入るとあちらこちらに狸を見ることができます。 住所:大阪市天王寺区城南寺町6-32
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【三光神社】(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神。天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀ります。社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったといわれています。かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫... 続きをみる
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【庚申堂】(こうしんどう)大阪市天王寺区 四天王寺の南門から南へ300mの【庚申堂】(こうしんどう)は、庶民信仰に支えられる浪花の名刹で、かつては四天王寺の境内の一部。「庚申」は道教の影響を受けた日本人の信仰のひとつで、三尸(さんし)という虫に由来しています。人間の体内には3匹の虫が住みつき、その... 続きをみる
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【勝鬘院】(しょうまんいん)大阪市天王寺区 山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院、西国愛染十七霊場・第一番札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所。真言密教勝鬘流根本道場。寺伝によれば、この寺は聖徳太子が開いた施薬院に始まると伝えられ、鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権・北条時頼か... 続きをみる
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【齢延寺】(れいえんじ)と 【銀山寺】(ぎんざんじ)/ 大阪市天王寺区
【 齢延寺】(れいえんじ) 大阪市天王寺区 もともとは元和9年(1620)僧義春によって曹洞宗の寺として真田山に開創され、1623年にいまの場所、減聖寺坂を上がってすぐ左手のところへ移転。志摩国領主稲葉家の菩提寺でもあった。江戸時代は「齢延寺の彼岸桜」と呼ばれた桜の名所で、いまも大樹古墓の多い風格... 続きをみる
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【比売許曽神社】(ひめこそじんじゃ)大阪市東成区 「下照比売命」を主祭神とし、速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀する。ただし、江戸時代の天明年間までは、牛頭天王を主祭神とする牛頭天王社であった。『古事記』には、新羅から来た阿加流比売神が難波の比売碁曽の社に坐すと記されてお... 続きをみる
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【木村重成の像】(きむらしげなり) この像の案内板などは近くにありませんので見つけるのは難しいです。特に夏場は雑草が茂っていて見えにくいです。場所は、 東大阪市若江南 蓮城寺(大阪府東大阪市若江南町2丁目3-7)の近くで、東大阪若江南郵便局の南側にアスファルト駐車場があります。その奥の無道路地の空... 続きをみる
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【長田神社】(ながたじんじゃ)大阪府東大阪市 東大阪市長田にある【長田神社】(ながたじんじゃ)です。横には「一乗寺」と「おかげ灯籠」がありました。 長田から西堤にかけて細長く続く旧集落は、古くは旧若江郡の北辺に広がっていた大きな湖沼(新開池)の南岸堤上にそって営まれた古い集落です。 長田村の中央... 続きをみる
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【若江鏡神社】(わかえかがみじんじゃ)は総面積二千坪の境内を有し、創立年代は不詳であるが、文徳実録等の古書に854年(斎衡元年)「授河内之国大雷火明之神従五位下」と記されていることから見て、相当な古社です。その昔、近郷一帯の農作物が殆ど枯死寸前に至ったとき、神前で大般若経(東大阪市重要文化財)を唱... 続きをみる
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【木村重成位牌堂】 蓮城寺内 / 大阪府東大阪市 大坂夏の陣の際の豊臣方武将(秀頼四天王の一人)木村重成の陣所 木村重茲の子といわれている。母の宮内卿局(一説には右京大夫局とも)は豊臣秀頼の乳母となり、重成は幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれる。 秀頼の信頼が厚く、元服すると豊臣家の重臣となり... 続きをみる
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【常光寺】(じょうこうじ )/【八尾天満宮】(やおてんまんぐう)/【八尾神社】(やおじんじゃ) 大阪府八尾市
【常光寺】(じょうこうじ)は、大阪府八尾市本町にある 臨済宗南禅寺派の寺院。南禅寺塔頭金地院の末寺で、山号は初日山。 通称は八尾地蔵尊。 本尊は地蔵菩薩で、弘仁年間(810年~824年ごろ)、小野篁の作と伝えられている。 山門脇に大坂城の残石と「河内最古之音頭発祥地」の碑がある。また、境内に大坂の... 続きをみる
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大阪梅田にも近く、民家を改築したおしゃれなカフェや雑貨屋などが集まる中崎町付近で見つけた【不動明王像】です。詳細不明でしたが、後で調べて少し分かりました。不動明王像に矜羯羅・制叱迦の二童子を従えています。真新しくはないですが、香炉やその他の設置物は新品に近いので違和感がありました。 この不動明王像... 続きをみる
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【了徳院】(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。本尊は、准胝観音。 聖天堂内陣 歓喜天(象頭人身男の荒神と十一面観音菩薩の化身である女神の抱擁する双身像)。由緒について;大阪夏の陣・冬の陣を描いた図に了徳院の名が見える。江戸時... 続きをみる
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【若倭姫神社】 ( わかやまとひめじんじゃ )大阪府柏原市 由緒:式内社。祭神 は若倭姫命。6世紀頃この地で繁栄した若倭部連の祖神を祀る神社。『旧事本紀天孫本紀』に、饒速日尊の五世の孫の建筒草命は建額赤命の子で、多治比連、津守連、若倭部連、葛木厨直の祖であると出ている。 『新選姓氏録』右京神別に... 続きをみる
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【石切劔箭神社 上之社】(いしきりつるぎやじんじゃうえのしゃ)大阪府東大阪市
【石切劔箭神社 上之社】(いしきりつるぎやじんじゃうえのしゃ)大阪府東大阪市 石切駅からほど近い坂の上に鎮座しており、「石切劔箭神社下之社(本社)」の奥の院になります。祭神は本社と同様に、饒速日尊(ニギハヤヒ)・可美真手命(ウマシマデ)の二柱の神を祀っており、皇紀2年(神武天皇即位2年)、出雲平定... 続きをみる
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【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)「通称 :白坂神社」大阪府柏原市
【宿奈川田神社】(すくなかわたじんじゃ)大阪府柏原市 式内社で、旧社格は村社。地元では通称 「白坂神社」と呼ばれ、地図や看板でもそのように表記されている。 宿奈彦根命・高皇産霊命・級戸辺命を主祭神とする。『神社覈録』や『特選神名牒』では「祭神不詳」となっている。 創建の由緒は不詳である。近くにある... 続きをみる
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【大阪市内神社巡り+観光スポット】(2/2) ④【難波宮史跡公園】 復元された大極殿基壇とその手前に八角殿を模した構造物を見ることができます。 難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)の上町台地の先端付近にあった古代宮殿。 住所 :大阪市中央区法円坂1 アクセス 地... 続きをみる
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【大阪市内神社巡り+観光スポット 】(1/2) ①【鵲森宮】(かささぎもりのみや)は、大阪府大阪市中央区にある神社。式内社で、旧社格は府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。聖徳太子の両親である用明天皇・穴穂部間人皇后、および聖徳太子を主祭神と... 続きをみる
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【道明寺天満宮】(どうみょうじてんまんぐう)大阪府藤井寺市 祭神は菅原道真公、天穂日命と、菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公である。 隣接して道明寺という真言宗の尼寺がある。 この地は、菅原氏・土師氏の祖先に当たる野見宿禰の所領地と伝え、野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社があった。 仏教伝... 続きをみる
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【石神社】から普門山妙法寺の「太平寺仏舎利塔」へ ①【石神社】(いわじんじゃ) 延喜式神名帳に記されている式内社で、旧社格は郷社。 神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。 麓の境内に社務所が、高い石段を登った ところに社殿がある。 祭神の石姫皇女は、宣化天皇の皇女... 続きをみる
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【観音寺】(かんのんじ)は、かってこの地にあった智識寺の法灯を継ぐと伝え、その縁起は後鳥羽院(在位:1183~98年)の時、源頼朝が勅を奉じて、2寺を合わせて1ヵ寺としたという。智識寺は奈良時代の創建で、7堂伽藍を備えた河内6大寺の1つで、聖武天皇や孝謙(称徳)天皇の行幸、礼仏で知られる。聖武天皇... 続きをみる
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【安福寺】(あんぷくじ)は、大阪府柏原市玉手町にある浄土宗知恩院派の仏教寺院。山号は玉手山。玉手山丘陵の中央部、玉手山公園北側の谷間に位置する。寺伝によれば奈良時代に行基によって建立されるが、中世には荒れ果ててしまい、小堂がただ一棟あるのみであったという。 寛文年間(1661年 - 1672年ごろ... 続きをみる
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【飛瀧神社】(ひろうじんじゃ)と【那智の滝】和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
【飛瀧神社】(ひろうじんじゃ)と【那智の滝】和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 御祭神は大己貴神。熊野那智大社の別宮であり、那智滝自体が御神体であり、本殿は存在しません。拝殿もなく直接、滝を拝むことになります。滝の飛沫に触れることによって、延命長寿の霊験があるという伝説があります。 場所:和歌山県東牟婁郡... 続きをみる
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【熊野本宮大社】(くまのほんぐうたいしゃ)和歌山県田辺市 熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神。1871年(明治4年)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として国幣中社に列格し、1915年に官... 続きをみる
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【安福寺横穴群】(あんぷくじよこあなぐん)大阪府柏原市 市立玉手山公園など玉手山の一帯は、大坂夏の陣(1615)の古戦場であるとともに古墳時代前期(4世紀)の古墳群でもあります。大和川と石川の合流点を望む玉手山丘陵上には、合計14基の前方後円墳と数基の円墳が、南北に連なって築造されています。また、... 続きをみる
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【観龍寺】(かんりゅうじ)は、真言宗御室派の寺院で、山号は宝寿山。寺格は別格本山。寛和元年(985年)尭勢津師により現在の倉敷市西岡に慈照院(西安寺)の塔頭として開創。当時は北斗山宝積院と称していた。 室町時代に鶴形山の麓、現在の駐車場の場所に移転し、寛永元年(1624年)現在の地に再移転し、同年... 続きをみる
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【阿智神社】(あちじんじゃ)岡山県倉敷市 【阿智神社】(あちじんじゃ)は、倉敷の総鎮守。倉敷市中心部、倉敷美観地区の北にある鶴形山と呼ばれる小高い山の上に鎮座しています。古代、「亀島」「鶴形島」などと呼ばれていた現在地に住み着いた阿知使主の一族が作った庭園が元となったといわれています。 かつて岡山... 続きをみる
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【天龍寺】(てんりゅうじ)大阪府八尾市 近鉄電車「服部川駅」から高安山に向かって徒歩約10分で八尾市農免道に着きます。 農免道沿から東側(山方面)に向かって、大窪・山畑7号墳「抜塚」がある来迎寺への道と安国寺への道とのちょうど真ん中のあたりに細い道が1本あります。それが【天龍寺】(てんりゅうじ)へ... 続きをみる
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【瑠璃光寺】(るりこうじ)は、大阪府柏原市山ノ井町にある仏教寺院。曹洞宗永平寺の末寺で山号は「医王山」。 正式には「医王山薬師院瑠璃光禅寺」と称する。天平年間に行基が開創、本尊の薬師如来像は行基の作と伝わる。かつては『七堂伽藍を具備せし巨刹なり』といわれ、大規模な寺院だったが、織田信長の信貴山城攻... 続きをみる
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【隠岐国あごなし地蔵尊】 大阪市生野区(コリアンタウン付近)
生野コリアンタウン付近の路地裏にひっそりと小さな【隠岐国あごなし地蔵尊】が鎮座します。この地蔵尊へは、近鉄鶴橋駅から歩いて15分くらいです。この辺りはこのような小さな地蔵尊がたくさんあります。「あごなし地蔵尊」とは、平安初期の参議で歌人としても名高い小野篁卿が承和5年(838年)12月、隠岐の島へ... 続きをみる
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八尾市内の神社巡りは、すでに完了したと信じていましたが、民家の壁に埋もれる「稲荷明神」を見つけてしまいました。地蔵尊だと思ってました。今後は地蔵尊も含め確認していきたいと思います。 場所:大阪府八尾市久宝寺6丁目5 (寺内町) 赤い枠の額には、九圓の文字と読めない1文字、その下に「稲荷神社」と思わ... 続きをみる
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【渋川神社】(しぶかわじんじゃ)は、大阪府八尾市植松町にある神社。 若江郡の式内社であり、旧社格は郷社。天忍穂耳尊、饒速日命、國狹槌尊、日高大神、菅原大神を祭神としている。創建の年月は不明。 かつて飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋の渋河の家の跡ともいわれている。もとは旧大和川の東側の字川... 続きをみる
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【許麻神社】(こまじんじゃ)大阪府八尾市 式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられています。 境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りです。この寺は、聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火に逢って... 続きをみる
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【東高津宮】(ひがしこうづぐう)大阪市天王寺区 仁徳天皇社と称していたこともあります。創建年は不詳。元は生國魂神社の南にありましたが、大阪城築城の折、当地付近(現在では大阪上本町駅構内に当たる)に遷座したとの伝説があります。 昭和7年(1932年)の上本町駅(当時)拡張工事の折、現在地に移転。現在... 続きをみる
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【古地図で歩く大阪 歴史探訪ガイド】 古地図関係の本を使って、大阪市西区の3か所(①土佐稲荷神社②茨住吉神社③九島院)とその他の社寺仏閣を回りました。帰ってから調べてみると、土佐稲荷神社を忘れていたようです。原因は、先に②茨住吉神社を行ったあと③九島院へ行くのに、松島遊郭を通ったのが原因だったよう... 続きをみる
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お地蔵さんと神仏習合の【愛宕社】( あたごしゃ)東大阪市 この社を一瞬見た感じは地蔵堂のように思えます。ここへは「彌榮神社」の正面鳥居前から東へ行きます。途中に大き目の地蔵堂とレトロな散髪屋さんを通り過ぎた道の角に鎮座しています。環濠集落であった中小阪村の東側入口にあたった場所で、火除けのみでなく... 続きをみる
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「奈良県 西の京斑鳩自転車道サイクリング」 ルート; 大阪府八尾市内→柏原市→王子→法隆寺→郡山→西の京(奈良西の京斑鳩自転車道) (往復約7時間半。休憩30分含む。) 訪れた社寺仏閣; ①藤ノ木古墳②斑鳩神社③法輪寺④素戔嗚神社⑤不動院 ⑥西岳禅院⑦吉田神社⑧郡山八幡神社⑨柳澤神社⑩郡山城址 ⑪... 続きをみる
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「奈良県 西の京斑鳩自転車道サイクリング」 ルート; 大阪府八尾市内→柏原市→王子→法隆寺→郡山→西の京(奈良西の京斑鳩自転車道) (往復約7時間半。休憩30分含む。) 訪れた社寺仏閣; ①藤ノ木古墳②斑鳩神社③法輪寺④素戔嗚神社?⑤不動院 ⑥西岳禅院⑦吉田神社⑧郡山八幡神社⑨柳澤神社⑩郡山城址 ... 続きをみる
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【道明寺】(どうみょうじ)は、大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の尼寺。 道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。 901年(延喜元年)、大宰府... 続きをみる
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【道明寺】(どうみょうじ)は、大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の尼寺。 道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。 901年(延喜元年)、大宰府... 続きをみる
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【三輪明神】(みわみょうじん) 大阪木津卸売市場 大阪木津卸売市場の西側入口に鎮座します。御祭神は、大物主大神。以前は阪神高速の下にあったのを2010年に木津市場敷地内で遷座されたようです。木津市場が休みの日曜日はこの神社の門は閉ざされていますのでお参りできません。 場所:大阪府大阪市浪速区敷津... 続きをみる
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【大坂城/大阪城】(おおさかじょう)と【豊国神社】(ほうこくじんじゃ)
【大坂城/大阪城】(おおさかじょう)は、安土桃山時代に摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築された日本の城。現在の大阪府大阪市中央区大阪城に所在します。別称は錦城(きんじょう。金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されています。 【豊国神社】(ほうこくじんじゃ)は、大阪府大阪... 続きをみる
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【正圓寺】(しょうえんじ)は、大阪市阿倍野区にある仏教寺院。 通称「天下茶屋の聖天さん」。 天慶2年(939年)光道和尚により開基。当時は、現在地より東に50... 続きをみる
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【満奇洞】(まきどう)は、岡山県新見市にある鍾乳洞。岡山県指定天然記念物、岡山県高梁川上流県立自然公園特別地域。岡山県新見市の草間カルスト台地に存在する鍾乳洞で、江戸時代末期、狸猟をしていた猟師により偶然発見された。岡山県の鍾乳洞ではもっとも早く存在が認知されたといわれている。名称の由来は1929... 続きをみる
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【豊川稲荷大阪別院】(とよかわいなりおおさかべついん)大阪市天王寺区
【豊川稲荷大阪別院】(とよかわいなりおおさかべついん)大阪市天王寺区 正式な寺号は「観音寺」。豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の別院である。明治31年(1898年)、付近の地主であった萩田利平が、この地を発展させようと、豊川稲荷から、だ枳尼天を勧請し、稲荷堂を建立したのを始まりとする。その後、明治... 続きをみる
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ねしゃかの寺【蓮生寺】(れんせいじ)/ 大阪市天王寺区 山号 宝池山、浄土宗知恩寺末寺、文禄元年(1592)僧天譽創建、大坂夏の陣で焼失、延宝年間(1673~1681)に復興、正徳4年(1717)台風で大破、享保年間(1716~1736)再興、戦災で昭和20年(1945)焼失、昭和59年(1984... 続きをみる
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【権現寺 / 権現宮】(ごんげんじ / ごんげんぐう)東大阪市六万寺町
お寺と神社が同居する【権現寺 / 権現宮】(ごんげんじ / ごんげんぐう)東大阪市 Gongenji / Gongengu (Higashi-osaka, Osaka, Japan) 六万寺参道を登っていくと右側に、「十二社権現寺」の標石が建っています。ここを... 続きをみる
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【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)⑥ 奈良県生駒郡平群町信貴山
【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)⑥ 醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました... 続きをみる
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【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)⑤ 奈良県生駒郡平群町信貴山
【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)⑤ 醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました... 続きをみる
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【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)④ 奈良県生駒郡平群町信貴山
【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)④ 醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました... 続きをみる
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【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)③ 奈良県生駒郡平群町信貴山
【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)③ 醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました... 続きをみる
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【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)② 奈良県生駒郡平群町信貴山
【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)② 醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました... 続きをみる
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【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ) ① 奈良県生駒郡平群町信貴山
【信貴山 朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ) 醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました... 続きをみる
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【榎大明神】(えのきだいみょうじん)大阪市中央区 映画化もされた小説「プリンセス・トヨトミ」。この舞台の一つが空堀商店街で、その近くにあるのが【榎木大明神】です。小説はこの小さな神社から始まります。 夕暮れのときにお参りしたので灯篭の明かりがついていました。 所在地 : 大阪市中央区安堂寺町2丁目... 続きをみる
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【備中松山城】(びっちゅうまつやまじょう)別名 : 高梁城(たかはしじょう)
【備中松山城】(びっちゅうまつやまじょう)は岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)。別名、高梁城(たかはしじょう)。「備中松山城跡」として国の史跡に指定されている。日本100名城。四国の愛媛県松山市にあった松山城を初め、各地の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつ... 続きをみる
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【生田の森】(いくたのもり)生田神社内 / 兵庫県神戸市中央区
【生田の森】(いくたのもり)生田神社内 生田の森は、古くは北に六甲の山脈がそびえ、南北狭く東西長く、旧生田川(現在のフラワーロード)あたりまで及ぶ広大な森林でした。鎌倉・室町時代の動乱期には、生田川をひかえた大森林であったため、軍事的な要衝地で、古来よりしばしば合戦の舞台となりました。中でも、平安... 続きをみる
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【最御崎寺】(ほつみさきじ)は、高知県室戸市室戸岬町に位置する寺院。室戸山(むろとざん)、明星院(みょうじょういん)と号す。宗派は真言宗豊山派。本尊は虚空蔵菩薩。四国八十八箇所霊場の第二十四番札所であり、土佐で最初の札所である。 室戸岬では東西に対峙している第二十六番札所の金剛頂寺を西寺(にしでら... 続きをみる
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高知県高岡郡中土佐町にある【久礼八幡宮】(くれはちまんぐう)です。旧社格は県社。安和(現・須崎市)、久礼、上ノ加江(中土佐町)の総鎮守で、海の守護神として古来より漁業関係者に崇敬されています。主祭神 は、応神天皇・神功皇后・比売神・湍津姫神・田心姫神・市杵島姫神。【久礼八幡宮】(くれはちまんぐう)... 続きをみる
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【室戸岬灯台】(むろとざきとうだい)は、高知県室戸市室戸岬町の室戸岬付近の高台に立つ白亜の鉄造灯台。周辺は、室戸阿南海岸国定公園に指定され、太平洋を望む風光明媚の地。光達距離26.5海里(約49km)は日本一。また、日本に5箇所しかない直径2.6メートルの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台で... 続きをみる
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【高知城】(こうちじょう)は、高知県高知市(土佐国土佐郡高知)にあった日本の城。別名鷹城(たかじょう)。 江戸時代、土佐藩の藩庁が置かれた。江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存し、城跡は国の史跡に指定されています。日本100名城に選定されている。高知市のある高知平野のほぼ中心に位置す... 続きをみる
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【波牟許曽神社】(はむこそじんじゃ) 大阪府東大阪市長瀬 「はむ」は蛇、「こそ」は社の義だといわれています。 明治二十二年(1889年)に北蛇草村を含めた七ヶ村が合併し長瀬村とりました。その後神社合祀政策により原則一村一社の基準が掲げられ、大正元年(1912年)に長瀬村内の八社を合祀して新たに長瀬... 続きをみる
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【高井寺藤原石棺仏】大阪府柏原市高井田 JR大和路線「高井田」駅から西へ細い道を200mほど行ったところに、旧高井田集落があり、細い道路を抜けて住宅街の壁のところにあります。定印の阿弥陀如来座像、平安末期。像高1.8m。漆塗木棺の棺台と思われる石材(長さ2.7m 幅1m 厚さ18cm)に浮彫大和川... 続きをみる
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【信貴山 奥の院】 (しぎさん おくのいん) 奈良県生駒郡平群町
【信貴山 奥の院】 (しぎさん おくのいん) 奈良県生駒郡平群町 米尾山福蔵寺。本尊は毘沙門天立像で、「汗かき毘沙門天」とよばれます。聖徳太子が排仏派の、物部守屋征伐に出陣した際、毘沙門天が太子軍の先頭に立って汗まみれになりつつ戦い、その活躍により勝利することができたといわれています。珍しい深沙大... 続きをみる
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【神光寺】(じんこうじ)と付近一帯の「高安古墳群」/ 大阪府八尾市
【神光寺】(じんこうじ)と付近一帯の「高安古墳群」/ 八尾市 大阪府八尾市の服部川の東方山腹に谷一つ隔て郡川の法蔵寺に相対して【神光寺】(じんこうじ)があります。正式には、医王山薬師院神光寺と称し、曹洞宗蔭涼寺末。享保年間(18世紀初め)に万徹和尚の開基で、薬師如来を本尊とし、本堂前に揚げてある「... 続きをみる
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【高安古墳群】(たかやすこふんぐん) / 高安千塚古墳群 高安古墳群(たかやすこふんぐん)は、大阪府八尾市の東部、高安山の麓に分布する古墳群。「高安千塚古墳群」の名称で国の史跡に指定されています。八尾市の高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川あたり)には約200基の古墳群が現存しており、その... 続きをみる
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【弓削道鏡と八尾市】 大阪府八尾市 弓削道鏡(ゆげのどうきょう、?~772年)は奈良時代の高僧で、八尾市南部を拠点にしていた豪族・弓削(ゆげ)氏の出身です。「弓削(ゆげ)」という文字は、今も八尾市の地名に残っています。 弓削道鏡(ゆげのどうきょう)は、宮中での看病に功績があったとして称徳天皇(7... 続きをみる
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【霊宝館】(れいほうかん)は、高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に開設されました。この時に建てられた本館は、登録有形文化財として指定されています。国宝21件、重要文化財147件、和歌山県指定文化財16件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵されて... 続きをみる
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高野山【徳川家霊台】(とくがわけれいだい)和歌山県伊都郡高野町
高野山【徳川家霊台】(とくがわけれいだい)とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。この場所は本来、聖派(ひじりは)の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。大徳院は、代々徳川家との関係が深い寺院で、後に家康に... 続きをみる
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【金剛三昧院】(こんごうさんまいいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある仏教寺院・宿坊。高野山真言宗別格本山。本尊は愛染明王。仏塔古寺十八尊第11番霊場。西国愛染十七霊場第17番霊場。 尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立しました。高野山のメインストリート「小田原通り... 続きをみる
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【総持院】(そうじいん)和歌山県伊都郡高野町 『総本山金剛峯寺』の西隣、「壇上伽藍」を前に控えた、弘法大師草創の地とも云われ往古の高野山を思わせる寺院のみが立ち並ぶ、閑静な本中院谷に位置しています。 總持院は平安時代、久安年間弘法大師から二十八代目の山主、行恵総持坊の開基の古刹。 住所: 和歌山県... 続きをみる
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赤不動尊【明王院】(みょうおういん)和歌山県高野町 【明王院】(みょうおういん) は、和歌山県高野町の高野山真言宗の寺院。高野山のなかほど本中院谷に所在。日本三不動のひとつ「赤不動」として知られる。 寺伝によれば弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が高野山を開くにあたり、自ら刻んだ五大明王を安置... 続きをみる
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【網引弁財天】(つなひきべんざいてん)和歌山県伊都郡高野町 「金剛峰寺」の道路を挟んだ隣、南都銀行高野山支店の脇に鎮座しています。弘法大師高野山御開創の時、その繁栄を祈って山内七ヶ所に祀られた弁才天の一つ。各々水源の位置に当ると云われ、水に由来した網引(又は船引)と名づけられたと云われております。... 続きをみる
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常喜院 【赤地蔵尊】(あかじぞうそん) 赤地蔵尊は、常喜院の敷地内にあります。本尊の正式名称は「恵宝地蔵尊(えほうじぞうそん)」。体の赤い色は水銀朱(丹生)で、古来中国では仙人の妙薬といわれています。 【赤地蔵尊】(あかじぞうそん)の他、「さすり地蔵」「水かけ不動明王」「聞耳(ききみみ)地蔵」「一... 続きをみる
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【清高稲荷神社】(きよたかいなりじんじゃ)和歌山県伊都郡高野町
【清高稲荷神社】(きよたかいなりじんじゃ)和歌山県伊都郡高野町 「北室院」(和歌山県伊都郡高野町高野山470)の横に鳥居がたくさん立ち並んでいます。その参道をあがっていくと【清高稲荷神社】(きよたかいなりじんじゃ)が鎮座しています。祭神に清高稲荷大明神(稲荷神)を祀っています。由緒等は不明です。高... 続きをみる
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金剛峯寺・大師教会の前に、【常喜院】(じょうきいん)があります。世界遺産高野山は弘法大師が1200年前に、密教の修業道場として開かれた聖地です。高野山常喜院では、宿坊宿泊・永代供養・加持祈祷など行っています。金剛峯寺・大師教会の前に、【高野山常喜院】があります。 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山3... 続きをみる
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「天徳院」(てんとくいん)の横の道に向いて小さな社があります。お賽銭として?がま口財布がお供えされていました。 場所:和歌山県伊都郡高野町高野山370 👇「天徳院」(和歌山県伊都郡高野町高野山370)
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【尾先弁天】(おさきべんてん)和歌山県伊都郡高野町 綱引弁天の東、一乗院山門の手前に立つ約70cm四方の小さな祠。鳥居へと続く参道は、裏山を借景にした庭園が整備されていてその美しさはひとしお。如意宝珠と太鼓を持ち、背中には剣を背負った珍しい姿の女尊がご神体。 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山606... 続きをみる
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高野山 【成福院】(じょうふくいん)和歌山県伊都郡高野町 「成福院」の御本尊は「大随求明王(だいずいぐみょうおう)」で、祈願者の求めに随ってくださる明王様とのことです。このお寺はビルマ戦没者を弔う「摩尼宝塔」でも有名で、前住職が悲惨なビルマ戦の体験者で、その縁で供養を続けられているとのことです。 ... 続きをみる
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【親王院】(しんのういん)和歌山県伊都郡高野町 【親王院】は今から1200年前に嵯峨天皇の皇太子となった真如親王が開基したと伝えられる寺院です。真如親王は空海の十人弟子の一人として知られる高僧で、空海の死滅した際には遺骸の埋葬にも立ち会ったと言われる人物です。【親王院】には当時を物語る資料として、... 続きをみる
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この池は「蓮池」と呼ばれます。昭和の頃までは美しい蓮(はす)が咲き誇っていました。この池には小さな祠(ほこら)が祀られています。明和年間のこと、干ばつが度々起こり、民衆は苦しみました。そこで明和8年(1771年)、瑞相院慈光(ずいそういんじこう)というお方が【善女龍王】(ぜんにょりゅうおう)像と仏... 続きをみる
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【弁才天融通橋】(べんざいてんゆうづうばし)和歌山県伊都郡高野町
【弁才天融通橋】(べんざいてんゆうづうばし)和歌山県伊都郡高野町 由緒等不明です。【高野山大師教会】の前にあります。 場所:和歌山県伊都郡高野町高野山347 アクセス:南海高野線の終着駅極楽橋駅より、南海鋼索線(ケーブルカー)で高野山駅下車。南海りんかんバスまたはタクシーで乗り継ぎ。
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【高野山大師教会】(こうやさん だいし きょうかい)和歌山県伊都郡高野町
【高野山大師教会】(こうやさん だいし きょうかい) 高野山開創1100年記念として1925年(大正14年)に建てられ、高野山真言宗の布教等の総本部です。本尊は弘法大師、脇仏として愛染明王と不動明王が祀られています。日帰り修行体験などもあり写経の他、大講堂の奥の授戒堂にて阿闍梨さまより菩薩十善戒を... 続きをみる
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【智泉大徳廟】(ちせんだいとく)は、和歌山県高野山の壇上伽藍東塔東側にあります。智泉(789-825)は、讃岐出身の平安時代の僧で、空海の甥にあたります。父は、讃岐滝宮の宮使で、菅原氏、母は佐伯氏の出身で空海の姉。延暦8年(789年)に生まれ、16歳の時に大安寺を本寺として出家。弘仁3年(812年... 続きをみる