kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

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【雲辺寺】(うんぺんじ)徳島県三好市 (3/5)

【雲辺寺】(うんぺんじ)は、徳島県三好市(もと三好郡)池田町白地ノロウチの雲辺寺山山頂近くに位置する真言宗御室派の寺院で、巨鼇山(きょごうざん)千手院(せんじゅいん)と号し、本尊は千手観世音菩薩である。
所在地は徳島県(阿波)であるが、四国八十八箇所霊場としては讃岐の札所として扱われ第六十六番で、八十八箇所中で最も標高が高い札所である。阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場めぐりの毘沙門天でもある。


本尊真言:おん ばさらたらま きりく そわか


ご詠歌:はるばると 雲のほとりの 寺にきて つきひを今は ふもとにぞ見る


寺伝によれば、789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。空海はまた、807年(大同2年)には秘密灌頂の修法を行い、さらに818年(弘仁9年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行ったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修業道場となり、貞観年間(857年から877年)には清和天皇の勅願寺ともなった。
1098年(承徳2年)火災で全山消失するも、その後に鹿を追って当地に入った猟師米成は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し堂宇の再建を果たした。 平安末期の中興の祖と云われるにふさわしい願西上人が住職のとき、現存する本尊千手観音と毘沙門天が造られた。 鎌倉時代には、阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられ関所寺であった。 1311年(応長元年)には、京都西園寺家により寺領が寄進される。 1363年(貞治2年)には足利氏より法華経真読を依頼される[1]。
1577年(天正5年)に土佐を統一し、四国制覇を狙う土佐の戦国大名・長宗我部元親が雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語ったという。
1987年(昭和62年)には香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウェイによって結ばれ、訪れやすい寺となった。



所在地 :徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2