kazu1000のブログ / 社寺仏閣巡り

社寺仏閣巡りが好きです。特に神社が好きで関西を中心に回っています。
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【慈眼寺】( じげんじ)通称:「野崎観音」(のざきかんのん)大東市

【慈眼寺】( じげんじ)は、大阪府大東市野崎にある寺院。山号は福聚山(ふくじゅさん)。宗派は曹洞宗。本尊は十一面観世音菩薩。本尊にちなみ、【野崎観音】(のざきかんのん)の通称で知られます。天平勝宝年間(749年 - 757年)にインドから来朝した婆羅門僧正が、行基に「野崎は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(サルナート)に似ている」と語り、それを受けた行基が、白樺で十一面観音を刻んで当地に安置したのが始まりと伝えられます。本尊は長谷寺の本尊と同木から彫られたといわれています。5月頭の無縁経法要(「有縁無縁すべてのもの」に対し、感謝の読経を捧げる行事)は「野崎詣り(のざきまいり)」の通称で知られます、江戸時代より続く。
かつての「野崎詣り」は大坂から船で参詣する風景が見られ、人形浄瑠璃や落語等のフィクション作品の舞台となっています。
また、【慈眼寺】( じげんじ)には、【南條神社】(なんじょうじんじゃ)が鎮座しています。


所在地 :大阪府大東市野崎二丁目7-1
アクセスJR片町線(学研都市線)野崎駅から東へ約1km。(約700M、旧170号線を
越え突当り。)




【慈眼寺】( じげんじ)境内には、【南條神社】(なんじょうじんじゃ)が鎮座しています。


【南條神社】(なんじょうじんじゃ)


「当社は、宝塔神社に対して北の宮さん牛頭さんの呼称で親しまれ、野崎地区の氏神として厚く信仰される。明治五年から野崎「宝塔神社に一時合祀されたが、同十三年には、野崎村村社として復活し現在に至る。‘牛頭天王’は仏教における神として怨霊や病魔を打ち祓うと言われている。‘素盞嗚命’は姉の‘天照大神’に岩戸隠れ神話を生ませる程の荒ぶる神であり、病魔を退散させる神威ありとして尊崇される。このため平安期以降の神仏習合理論により牛頭天王と同一視されるようになった。京都の‘八坂神社’に代表されるように‘牛頭天王’をお祀りする神社は古く、当社も北條村に対し南條村を称した江戸時代以前に南條(野崎)村の鎮守として『牛頭天王社』と呼ばれていたのであろう石鳥居に「元禄」の銘が刺されていることからこの時期「十七世紀末」に社域が整備されたと推定される。また、本殿前にある一対の木製狛犬(向かって左側の狛犬の頭には角があり、一角獣と呼ばれる。(狛犬に角があるもの程時代は古いと言われている。)は、極彩色が施され、現在、剥離しているが桃山時代の雰囲気を漂わせている。なお、その台座の裏書に「延享元年(1744)子年子九月十九日 天王宮野崎村」とある。」




本堂の横にある「江口の君堂」。江口の君を祀り、婦人病と子授けの御利益があるとされる。


「羅漢堂」
釈迦の16人の弟子(十六羅漢、じゅうろくらかん)を祀り、北河内の遊び歌において「野崎観音十六羅漢、うちの親父は働かん」とユーモラスに歌われる(なお、羅漢堂は1951年に山崩れによって流失し、羅漢像は修復されたものの、建物は仮設である)。



「三十三所観音堂」
西国礼所一番那智山から、三十三番谷汲山までの観音様をおまつりしています。このお堂にお参りになれば、三十三霊場を一度に拝むことができます。






石造九重層塔:当石塔は昭和初期まで九層でしたが、現在は最上層と相輪を失って、高さ280センチの八重層塔となっています。 造立銘は永仁2年(1294年)とあり、74字の金石文を礎石に刻する北河内最古の層塔です。大東市指定文化財。





「慈母観音」




野崎観音は、お染久松を主題にした近松半二「新版歌祭文」をはじめ、近松門左衛門「女殺油地獄」、落語「のざき詣り」、東海林太郎「野崎小唄」などで広く知られている。



「お染久松物語」について;


 野崎村の久作には、養子の久松(ひさまつ)と、女房の連れ子のお光(おみつ)がいた。久作は気立ての優しいお光を、久松の嫁にしようとしていた。
一方、久松は奉公に出た大阪の油問屋の娘、お染(おそめ)と知り合い、恋に落ちる。それをねたまれ、久松が油問屋から帰されてきたので、久作は早速久松とお光の祝言を挙げようとする。
久松のことを以前から慕っていたお光が婚礼の支度をしている所へ、大阪からお染が「野崎まいり」にかこつけて久松に会いに来た。久松との関係に気付いたお光は、お染を追い返そうとし、久松と言い争いになる…。養父への義理から別れ話を持ち出す久松と二人きりになったお染は、自害しようとする。それを見て、久松は二人で死ぬことを約束する。そこへ、事の成り行きをみていた久作に人の道に反していると諭され、二人は別れを誓うが、お互い心中の覚悟を決めていた。
祝言の席でお光が綿帽子を取ると、髪を切り尼の姿になっていた。お光は二人の心を察し、自分が身を引けば、二人が幸せになれると考えたのだった。それを見ていた、お染の母親お勝(おかつ)はお光に礼を述べ、二人の仲を認め、二人は油屋へ帰っていく。二人の無事を祈り、その姿を見送りつつ、お光は泣き崩れるのであった。



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