【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区
【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区
由緒について ;延喜式内の古社であって、三の宮と称され、遠く二千年前の御創建である。 御祭神は、主神(神産霊大神、手力雄命、天児屋根命)、相殿(天日鷲命、大己貴命 、宇賀魂命)、追祀(少名彦命、素盞嗚命、住吉大神)である。 本社は古来酒造の祖神として将又医薬の祖神として衆庶の信仰厚く、又文武両道の守 護神として御神徳顕著であった。 社領は住吉大社二万二千石の中の三百七十五石余りであったが、社領減地の節没収さ れたと記されている。 本社殿は慶長年間、兵火にかかったが豊臣の浪人であった多賀谷氏、秦氏、小山氏、 岡田氏等の協力のもと再建し、元和四年八月二十一日、遷座の式が挙げられ、この日 を祭典の日と定められている。 元文元年九月、徳川幕府は本社および多米神社の廃滅に瀕せしを憂い幕吏菅廣房に命 じ「神須牟地社」「多米社」と刻せる石碑二基を双方の地に建立せしめられ、今尚現 存している。境外末社多米神社は多米連の建てた神社と言われ、延喜式内の旧い社で 、別名を「苗見神社」とも「種貸神社」とも言われ、又「鎮座の社」「苗見の森」「 種貸の森」又はただ「明神さま」とも唱えられ浪速名所の一つに数えられていたので ある。多米神社の御祭神は宇賀魂命、神稚魂神、保食神とされている。境内末社農神 社は農耕の神として農民の尊敬厚く、今の長居墓地東北百米の三つの池の中央に土塀 をめぐらし一本の松の木の下に社があったのである。農神社の御祭神は大己貴命。
住所:大阪市東住吉区住道矢田二丁目9