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神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事で画像の使用量が満杯になりましたのでkazu2000より引き続き投稿致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。 URL:https://kazu2000.muragon.com/entry/1.html ... 続きをみる
社寺仏閣のブログ記事
社寺仏閣(ムラゴンブログ全体)【kazu1000のブログ】➡【kazu2000のブログ】へ継続
神社が好きで関西を中心に廻っています。kazu1000のブログ記事で画像の使用量が満杯になりましたのでkazu2000より引き続き投稿致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。 URL:https://kazu2000.muragon.com/entry/1.html ... 続きをみる
【円成寺】(えんせいじ)の楼門前に広がる美しい庭園です。平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した寝殿造系庭園に類似し、寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、奥州平泉(岩手県)の毛越寺庭園とともに貴重な遺構です。 苑池中央と西... 続きをみる
當麻寺境内の外にある【薬師堂】(やくしどう)です。重要文化財。 場所:奈良県葛城市當麻1263
【當麻寺】(たいまでら)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創... 続きをみる
【當麻寺】(たいまでら)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創... 続きをみる
【キリシタン遺物史料館】大阪府茨木市 Ibaraki Municipal Christian Relics Depository
【キリシタン遺物史料館】大阪府茨木市 Ibaraki Municipal Christian Relics Depository キリシタン遺物史料館は、大阪府茨木市の市街地から離れた北部の山間地千提寺地区にあり、風にそよぐ青葉や野鳥の声などに囲まれた自然の中に建っています。近くにはキリシタン自然... 続きをみる
道の片すみの忘れかけられた「不思議な薬師如来」奈良市白毫寺町
道の片すみの忘れかけられた「不思議な薬師如来」奈良市白毫寺町 「不思議な薬師如来」は、右手には、奈良市白毫寺町にある「高円山 白毫寺」(びゃくごうじ)の駐車場の隅にあります。案内板には次のように書かれています。 【人々に安らぎと勇気の施無畏仰(せむいいん)を、左手には、病苦の苦しみを除く誓願を示す... 続きをみる
【洞水門】(どうすいもん)は、奈良公園の南端部、「浮見堂」で有名な「鷺池」のほとりにある小さな「音の鳴る仕掛け」です。 別名としては「水琴窟」とも呼ばれるその仕掛けは地中に「伏瓶(ふせがめ)」を埋めて空洞を作ることで、落ちる水がその中で反響して琴のような音色が周辺に響くというものです。【洞水門】(... 続きをみる
【浮見堂】(うきみどう)奈良市高畑町 奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。 水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえら... 続きをみる
【念佛寺】(ねんぶつじ) 大阪府八尾市 【念佛寺】(ねんぶつじ)は、当寺、龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年、(一三四一)辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、宗門きっての古刹です。もと、この寺院は聖徳太子の建立し... 続きをみる
【あごなし地蔵尊】大阪府八尾市 久宝寺御坊(顕証寺)前の地蔵堂内にあります。総高41cm舟形光背に高さ14cmの蓮華座を彫り出し、その上に立つ像高22cmの地蔵二尊仏で、双体道祖神を想わせる像容。像の左に“をきのくに あごなし地蔵”と陰刻されています。あごなし地蔵は隠岐島の小野篁作といわれる地蔵が... 続きをみる
【顕証寺】(けんしょうじ)大阪府八尾市 大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。 久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじんじゃ)境内には太子創建を伝える久... 続きをみる
【如意輪寺】(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。山号は塔尾山(とうのおさん)。本尊は如意輪観音。本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓がある。 平安時代の延喜年間(901年 - 922年)に日蔵上人により開かれたと伝わる。南北... 続きをみる
【金峯山寺蔵王堂】(国宝)(きんぷせんじざおうどう) 奈良県吉野郡吉野町 (2/2)
【金峯山寺蔵王堂】(国宝)(きんぷせんじざおうどう) 奈良県吉野郡吉野町 金峯山寺は吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山とは吉野山から山上ヶ岳(大峰山)にいたる山々の総称で、“金のみたけ”という意味。山上ヶ岳にある大峰山寺への玄関口の役割を持っています。創立年代は不明ですが、その昔、... 続きをみる
【西宮神社】(にしのみやじんじゃ)兵庫県西宮市 日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する。祭神は、 えびす大神(西宮大神・蛭児命) - 第一殿・主... 続きをみる
【慈願寺】(じがんじ)奈良県奈良市 厄除け発祥の寺として、史書『南都年中行事』によると、当寺の創建は聖武天皇の勅願により観音堂に守り仏を安置したことが始まりとされています。寺領百石余りある南都諸大寺の一つでしたが、松永久秀の乱逆により荒廃し、その後復興されています。本尊の聖観世音菩薩に古来多くの人... 続きをみる
柏村稲荷神社夏祭り(2018年7月15日) 大阪府八尾市柏村町 Kashimura Inari Shrine Summer Festival (July 15, 2018)
【柏村稲荷神社夏祭り(2018年7月15日)】 大阪府八尾市柏村町 Kashimura Inari Shrine Summer Festival (July 15, 2018) 「柏村稲荷神」の由来について; 古来この辺りは旧大和川が流れていたが、たび重なる洪水により附近の人々は大へんな災害を蒙... 続きをみる
教興寺夏祭り(岩戸神社)大阪府八尾市 / 平成30年7月8日 Kyokoji Summer Festival in Yao city (8/7/2018)
教興寺夏祭り(岩戸神社)大阪府八尾市 / 平成30年7月8日 Kyokoji Summer Festival in Yao city (8/7/2018) 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)八尾市大字教興寺 【岩戸神社】は、天照大神高座神社のすぐ西の脇にあり、本殿も同様に岩盤上に鎮座しています。祭神は... 続きをみる
【教興寺】(きょうこうじ)大阪府八尾市 大阪府八尾市にある真言律宗の仏教寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。詳名は「獅子吼山大慈三昧院教興寺」。本尊は弥勒菩薩である。 寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したとい... 続きをみる
【教興寺】(きょうこうじ)大阪府八尾市 大阪府八尾市にある真言律宗の仏教寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。詳名は「獅子吼山大慈三昧院教興寺」。本尊は弥勒菩薩である。 寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したとい... 続きをみる
【誉田八幡宮】(こんだはちまんぐう)大阪府羽曳野市 旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の直ぐ南に鎮座する。社伝によると、欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最古の八幡宮を... 続きをみる
【碓井八坂神社】(うすいやさかじんじゃ)と「史跡 井徳院址」/ 羽曳野市
【碓井八坂神社】(うすいやさかじんじゃ)と「史跡 井徳院址」/ 大阪府羽曳野市 「白鳥神社」から近鉄南大阪線の東側を北へ向かって進んで集落の切れ目近くに鎮座しています。【碓井八坂神社】(うすいやさかじんじゃ)は、もとは「井徳院」と言われた奈良時代の寺の鎮守であったか、あるいは古市神社からの分社であ... 続きをみる
【西琳寺】(さいりんじ)大阪府羽曳野市 大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は向原山。本尊は薬師如来立像。欽明天皇の勅願寺として建立された向原寺が起源とされ、8世紀後半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふみ)氏が開基とされる。 創建時は現在よりも一回り大きい寺域(東西1... 続きをみる
【高屋神社】(たかやじんじゃ)大阪府羽曳野市 饒速日命と広国押武金日命(安閑天皇)を祀ります。当地は物部氏の系統で、『新撰姓氏録』に「饒速日命の十世の孫、伊己止尼大連の後」と記される「高屋連」の本貫地であり、祖神として饒速日命が祀られました。広国押武金日命は後に祀られました。 社伝によれば、宣化... 続きをみる
【大黒寺】(だいこくじ)は、大阪府羽曳野市にある曹洞宗の寺院。「大黒天発祥の寺」。縁起によれば、西暦665年 天智天皇4年 正月甲子(きにえね)の日。修験道の祖 役ノ行者(えんのぎょうじゃ)が、金剛山に籠り孔雀明王経を誦え諸仏諸神に人々の救済を祈願していると、不思議な事に大地が震え。天空が薄暗くな... 続きをみる
【野々上八幡神社】(ののうえはちまんじんじゃ)大阪府羽曳野市
【野々上八幡神社】(ののうえはちまんじんじゃ)は大阪府羽曳野市にある神社。 祭神は八幡大菩薩。「中之太子」野中寺に隣接する。由緒:創建は不明で、南北朝時代に兵火により野中寺とともに焼失してしまいましたが、寛文年間(1661~1673)野中寺の鎮守社として再建されました。明治初年の神仏分離令により野... 続きをみる
【野中寺】(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。別称は中之太子。山号は青龍山。本尊は薬師如来。創建は飛鳥時代。伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。また「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中... 続きをみる
【大津神社】(おおつじんじゃ) 大阪府羽曳野市 大阪府羽曳野市高鷲にある神社で、延喜式神名帳に記載されている、河内国丹比郡の式内社。 厄除開運、縁結び、安産、家内安全、交通安全、引越しや住居のリフォーム等の方災除けのご利益があるとされる。祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稻田姫命(くしいなだひ... 続きをみる
【金剛輪寺】(こんごうりんじ)「杜本神社の神宮寺」大阪府羽曳野市
【金剛輪寺】(こんごうりんじ)「杜本神社の神宮寺」大阪府羽曳野市 駒ヶ谷駅から東に約10分程歩いた宮山頂上付近にあるのが杜本神社 (もりもとじんじゃ)です。現在の祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)・経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)とされていますが、平安初期には百済宿袮永継(くだらのすくねなが... 続きをみる
【日吉神社】(ひよしじんじゃ)大阪府羽曳野市 竹内街道(たけのうちかいどう)を歩いて行くと何か駐車場のような建物が見えてきます。その横に【日吉神社】(ひよしじんじゃ)があります。 境内はとても狭いですが狛犬もあります。日吉神社なのになぜか丹比神社の石碑があります。由緒などは不明です。 この日吉神社... 続きをみる
【皇大神宮】(こうたいじんぐう)大阪市城東区 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として、伝承によると伊勢神宮に納める神税の御蔵跡地であることから、神宮様と称して広く崇敬され栄えてきた由緒ある神社です。創建年代の詳細は不明ですが、平安時代末期に摂津国今福村が開発されたときに建てられたと伝えられ... 続きをみる
【須佐之男尊神社】(すさのおのみことじんじゃ)<関目神社> 大阪市城東区
【須佐之男尊神社】(すさのおのみことじんじゃ)<関目神社> 大阪市城東区 須佐之男尊を祭神とし、現在は、関目神社と称しています。創建年代は不明ですが、天正8年(1580年)豊臣秀吉が大阪城築城の際、この地が大阪の鬼門にあたるということから鬼門鎮護の神として毘沙門天(びしゃもんてん)、牛頭天王(ごず... 続きをみる
【今福行者尊】(いまふくぎょうじゃそん)「大聖不動明王・高祖神大変大菩薩」 大阪市城東区
【今福行者尊】(いまふくぎょうじゃそん)「大聖不動明王・高祖神大変大菩薩」 大阪市城東区 【今福行者尊】は、大阪市城東区今福南の「皇大神宮」の横にあります。額に【今福行者尊】と墨書きされています。玉垣には大聖不動明王(ふどうみょうおう)、高祖神大変大菩薩(だいぼさつ)と赤字で墨入れされています。真... 続きをみる
真言宗【大日寺】(だいにちじ)大阪市城東区 お寺の入り口には正面に隣接する「八剣神社」の鳥居が見えます。弘仁年間(810年~824年)に弘法大師が創建されたと伝えられています。ご本尊の大日如来は、「摂陽群談」第12巻にも弘法大師手造りの像と記載されています。本堂には大日如来のほか、如意輪観音(にょ... 続きをみる
【八劔神社】(やつるぎじんじゃ)大阪市城東区 応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、八劔大明神・武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)・罔象女大神(みづはのめのおおかみ)を祭神としています。 宝暦年間に京都下鴨の神主が記録した社記によれば、応永のはじめのある夜、鴫野村住民の夢の中に一人... 続きをみる
【谷の清水 地蔵尊】大阪市天王寺区 昔はこちらの井戸の水源はここから約10m南西の民家の井戸からひいていたらしいです。しかし元井戸の水も涸れてきたので、昭和51年より現井戸の地下約15mをポンプで汲み上げているのが現実だそう。戦前は近隣の風呂屋、醤油醸造所がここの井戸の水脈を利用するほど水量は豊富... 続きをみる
四天王寺に石神堂と呼ばれる【牛王尊】(ごおうそん)という神を祀る社があります。 この社には、四天王寺創建の際に材木を運んでいた牛が伽藍の完成と共に石神に変わってしまったという伝承があります。 そのため、社の中では「牛の石像」が祀られています。次のように書かれてあります。 「この御堂は聖徳太子四天王... 続きをみる
【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区 式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣... 続きをみる
【清水寺】(きよみずでら)は、大阪市天王寺区伶人町(れいにんちょう)にある仏教寺院。宗派は天台系の和宗に属します。山号は有栖山。詳名は有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)。和宗総本山・四天王寺支院。宗教法人としては清光院で登録[されています。大阪市内唯一の天然の滝である「玉... 続きをみる
第十五番札所 護念山 【誓安寺】(せいあんじ)大阪市天王寺区
第十五番札所 護念山 【誓安寺】(せいあんじ)大阪市天王寺区 慶長3年(1598)僧西堂の創建です。門前から本堂の棟が見える 堂内には優れた壁画や欄間彫刻が今に傳わるといわれています。大東亜戦争の火災の時は境内の楠木が水を出して本尊阿彌陀如来と本堂を守ったとされる札所観音は別堂に祀られ、その御姿は... 続きをみる
【長安寺】(ちょうあんじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗知恩院末の寺院。山号は瀧水山。本尊は阿弥陀如来。 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第20番札所。大坂三十三箇所観音めぐり第14番札所。 5月中旬から6月上旬にかけて境内は色とりどり、数多くの花菖蒲で埋め尽くされます。 所在地: 〒543-00... 続きをみる
「心願寺」の道を挟んで横にあります。聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。元禄年間(1688~1704)... 続きをみる
戦国武将・真田幸村や真田十勇士のパネル人形、真田家の家紋「六文銭」が描かれた真っ赤なのぼり旗が 狭い通りにずらりと並びます。100メートルほどの通称「玉造幸村ロード」。 大阪市天王寺区のJR玉造駅西側にあります。ここから歩いて5分くらいでドラマ「真田丸」で有名になった「三光神社」があります。 #じ... 続きをみる
【東高津延命地蔵尊】(ひがしこうづえんめいじぞうそん)大阪市天王寺区
【東高津延命地蔵尊】(ひがしこうづえんめいじぞうそん)大阪市天王寺区 大阪市天王寺区東高津町の「東高津公園」の一角にあります。クリーム色の壁と赤い屋根のお堂は目立ちます。中には3体の地蔵様が祀られています。この【東高津延命地蔵尊】の一筋西には「東高津宮」(ひがしこうずみや)」が鎮座しています。この... 続きをみる
【善福寺】(ぜんぷくじ)は、大阪市天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院。「どんどろ大師」「どんどろ」と通称する。山号は如意山。院号は甘露院。「どんどろ大師」の名で知られる。現在、善福寺のある位置には鏡如庵大師堂(鏡如寺・通称:どんどろ大師)という寺があったが、明治時代に廃寺になっている。その後、... 続きをみる
【天王寺屋地蔵尊】(てんのうじやじぞうそん)大阪府八尾市 面貌はかなり磨滅しているが慈悲の温容を感じさせる。材質は軟質の花崗岩で総高一.二五メートル像高九二.五センチメートル厚さ十三センチメートルで、像脇に□仁□丁酉□と刻銘されているのが読みとれる。体部の肉づけ、衲衣の表現など洗練された彫技から見... 続きをみる
社寺仏閣巡りが好きなので、今と昔を写真で比較した本をよく借ります。「大阪今昔 歩く地図帖」の載っている写真をみると、茶臼山、河底池(かわぞこいけ・こそこいけ、通称ちゃぶいけ)の辺りはほとんど変わってないのがわかります。 (撮影:2016/7/11) #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #... 続きをみる
【心眼寺】(しんがんじ)大阪市天王寺区 /「真田幸村出丸城跡」
【心眼寺】(しんがんじ)大阪市天王寺区 /「真田幸村出丸城跡」 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第11番 真田幸村とその子・大助の供養のために真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てた寺です。心眼寺周辺は大坂冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出丸・真田丸跡地といわれています。「三光神社「が真田丸の東側に... 続きをみる
【一心寺】(いっしんじ)大阪市天王寺区 夕陽丘の一角に位置する一心寺は、文治(ぶんじ)元年(1185)、法然(ほうねん)上人が四天王寺西門の西側あたりに、草庵を結んだのが始まりとされる浄土宗の寺院。後白河法皇もこの地で、西方に沈みゆく太陽に向かって念仏を唱え、極楽生涯を願う「日想観」の修行を行った... 続きをみる
【茶臼山】(ちゃうすやま)大阪市天王寺区 古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も公園の一部として遊歩道が整備されている。公園本体との間には河底池(かわぞこいけ・こそこいけ、通称ちゃぶいけとも言う)があるが、これは788年(延暦7年)に和気清麻呂が、大和川や河内湖の排水と水運のために上町... 続きをみる
【大江神社】(おおえじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言... 続きをみる
【三光神社】(さんこうじんじゃ)大阪市天王寺区 天王寺区の宰相山公園にあり、仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻ったという。古くは「日月山神社」とも、「姫山神... 続きをみる
【番匠堂】(ばんしょうどう)四天王寺内 聖霊院(太子殿)猫之門前に【番匠堂】(ばんしょうどう)があります。この御堂には、日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子の像が祀られています。番匠の象徴である曲尺(かねじゃく)を携えたそのお姿により、 世に「曲尺太子(かねじゃ... 続きをみる
役行者像「大聖大悲不動明王」「南無神変大菩薩」四天王寺内 向かって右側に役行者の「南無神変大菩薩」と書かれたのぼりが見えます。正面にまつられているのは、「大聖大悲不動明王」と二童子です。 「南無神変大菩薩」のうち、「神変大菩薩」( しんぺんだいぼさつ)とは、 南北朝時代を経て山伏の活動は一段とさか... 続きをみる
【亀遊嶋辯天堂】(きゆうじまべんてんどう) 大阪市天王寺区 四天王寺の広い境内の北東側のエリアにあります。最寄駅である天王寺駅や四天王寺前夕陽が丘駅からは一番奥の場所になります。東大門から入るとすぐ左手にあります。この弁天堂は全国各地の標準的なスタイルで、池がありその中央にお堂を配しています。お堂... 続きをみる
【産湯稲荷神社】( うぶゆいなりじんじゃ) 大阪市天王寺区 創建年代は不明です。東成区の比売許曽神社の旧社地といわれる場所に鎮座し、境外摂社・御旅所です。御祭神は、宇賀魂命・下照比賣命・大小橋命。公園の一角に整備された神社です。境内の一段低い場所に玉之井と呼ばれる井戸があり、大小橋命の産湯に使われ... 続きをみる
【心眼寺】(しんがんじ)大阪市天王寺区 /「真田幸村出丸城跡」
【心眼寺】(しんがんじ)大阪市天王寺区 /「真田幸村出丸城跡」 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第11番 真田幸村とその子・大助の供養のために真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てた寺です。心眼寺周辺は大坂冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出丸・真田丸跡地といわれています。「三光神社「が真田丸の東側... 続きをみる
高野山真言宗 【興徳寺】(こうとくじ)大阪市天王寺区 聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。元禄年間(1... 続きをみる
【天然寺】(てんねんじ)「おちつき天神」大阪市天王寺区 天正16年(1588)僧天然が法然上人の念仏道場として開創。境内の案内板には、 「潮待山【天然寺】(てんねんじ)は後陽成天皇の天正16年4月8日天然上人の開基で、時恰も豊臣秀吉大坂城築城の天正11年の後に辺り、城の南、堀の外の高台に寺地を給せ... 続きをみる
【高宮神社】(たかみやじんじゃ)大阪府寝屋川市 創祀年代は不詳。『新抄格勅符抄』によれば、平安時代初期の大同元年(806年)の牒に「高宮神一戸河内国同年奉レ充」とあり、この「同年」は奈良時代の神護景雲4年(770年)となる。それ以前からの古社。『日本三代実録』では、貞観元年(859年)に従5位下か... 続きをみる
【仁和寺氏神社】(にわじうじじんじゃ) 大阪府寝屋川市 鳥居をくぐってすぐ右側に「仁和寺庄の古跡」(にわじしょうのこせき)の説明書きがあります。「仁和寺は古くは「にわいじ」とよんだこともあったようです。地名は京都仁和寺(にんなじ)の所領であったことに由来すると考えられます。」など書かれてあります。... 続きをみる
【大杜御祖神社】(おおもりみおやじんじゃ) 大阪府寝屋川市 この【大杜御祖神社】(おおもりみおやじんじゃ) がある場所は、薬師寺式寺院高宮廃寺の西塔跡です。高宮廃寺は奈良時代以前に創建され、平安時代に廃寺となりました。もとは現在地の西北100mの一段高い畑地にありましたが、後に現在地に移りました。... 続きをみる
【秋玄寺】(しゅうげんじ) は1582年に一印秋玄大師により創建された浄土宗の寺院。 秋玄寺五代欣誉厭求大徳(ごんよえんぐだいとく)が復興、念仏行者として知られる徳本上人(とくほんしょうにん)の名号が墓石にあり、境内地には初七日から三十三回忌までの仏を配した秋玄寺十三仏板碑(寝屋川市指定文化財)が... 続きをみる
【難波神社】(なんばじんじゃ)大阪市中央区 社格は府社。摂津国総社として「難波大宮」または「平野神社」と呼ばれていたという。 反正天皇が仁徳天皇を偲んで建立したと伝えられる古社です。もとは河内の地(現在の河内松原市)にあったが、秀吉が大阪城を築城した際に現在の地へ移転、その地名から「上難波神社」と... 続きをみる
【御津宮】(みつぐう)は、大阪府大阪市中央区西心斎橋に鎮座する神社(八幡宮)。御津八幡宮、島之内八幡宮とも称されます。祭神は、応神天皇、仲哀天皇、比め大神。末社として、石宮龍王(いしのみやりゅうおう)、祭神は倉稲魂命。祠と鳥居があります。神紋は龍や水を祀る場所に多い三つ鱗紋です。社名は地名により、... 続きをみる
【坐摩神社】(いかすりじんじゃ)大阪府大阪市中央区 式内社(大社)で、摂津国一宮を称します。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「白鷺」。正式な読み方は「いかすりじんじゃ」ですが、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが多く、地元では「ざまさん」の通称で呼ばれます。大阪市中心部の船... 続きをみる
【花隈城跡】(はなくまじょうあと)は、兵庫県神戸市中央区の元町駅西方にあった日本の城。別名は花熊城。花隈城は「鼻隅城」と書くこともあった。これは六甲山の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」、その稜線を「隅」で言い表したものである。またかつてはこの付近一帯のことを「花熊」と呼んでいたことも窺える。 永... 続きをみる
【走水神社】(はしうどじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区元町通5丁目にある神社。元町商店街から1本南に下った東西の道に面したところに鎮座している。走水神社は旧走水村の氏神で、社伝によると1100年以上の歴史を持つ由緒ある神社である。五穀豊穣・健康長寿・商売繁盛に学問の神様といわれ、書道の神としても有... 続きをみる
【西海寺】(さいかいじ)大阪市中央区 黄檗宗【西海寺】(さいかいじ)は大阪都心の中央区にあり、地下鉄の谷町九丁目駅から、又は近鉄上本町駅から上町筋へ向かいます。小さな門なのでよく注意しないと通り越してしまうかもしれません。敷地は広くなく門をくぐると、すぐ右に「一願不動明王」が祀られています。一願不... 続きをみる
【玉勝大明神・榎大明神】( たまかつだいみょうじん・えのきだいみょうじん)大阪市中央区
【玉勝大明神・榎大明神】( たまかつだいみょうじん・えのきだいみょうじん)大阪市中央区 この【玉勝大明神・榎大明神】( たまかつだいみょうじん・えのきだいみょうじん)を 見つけるのは困難です。グーグルでも検索できません。大阪市中央区谷町7丁目6-6に工芸関係の株式会社があります。その横の細い路地奥... 続きをみる
【越中井】(えっちゅうい) 大阪市中央区 【越中井】(えっちゅうい)は、大阪市中央区森の宮中央2丁目12にある史跡。細川家の当主である細川忠興の屋敷の台所があったと伝えられる場所で、「細川ガラシャ」最期の地として知られる。「越中井戸」(えっちゅういど)とも呼称される。 秀吉の死後の1600年、会津... 続きをみる
【高野山真言宗 北野山三本松不動院】(さんぼんまつふどういん)神戸市中央区
【高野山真言宗 北野山三本松不動院】(さんぼんまつふどういん)です。中には【三本松大明神】そして【正二位 三本松稲荷大神】 が鎮座します。宗派:高野山真言宗。本尊:霊石生不動明王 山本通の傍らに鳥居の見える神社らしき建物が見えます。しかし名前は「三本松不動院」となっています。 昔、ここには三本の松... 続きをみる
【柴島神社】(くにじまじんじゃ)大阪市東淀川区 広い公園の真ん中に鳥居があります。それを抜けると境内につながっており、詳しく書かれた由緒書きがあります。次のように書かれています。 『昔から淀川の氾濫により流域地帯は度重なる洪水の為、苦しめられていた鎌倉時代の貞永元年(1232)仲秋の大洪水は三十日... 続きをみる
【蒲生不動尊】(がもうふどうぞん)大阪市鶴見区 由緒等不明です。
【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前... 続きをみる
【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前... 続きをみる
【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前... 続きをみる
【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前... 続きをみる
【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前... 続きをみる
【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前... 続きをみる
【清凉寺】(せいりょうじ)京都市右京区 山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。棲霞... 続きをみる
【清凉寺】(せいりょうじ)京都市右京区 山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。棲霞... 続きをみる
【賀茂御祖神社】(かもみおやじんじゃ)京都市左京区 通称は「下鴨神社」(しもがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。 賀茂別雷神社(上賀茂神社)とと... 続きをみる
【桂離宮】(かつらりきゅう)は、京都市西京区桂にある皇室関連施設。江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートル。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)... 続きをみる
【愛宕念仏寺】(おたぎねんぶつじ)京都市右京区 京都府京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の仏教寺院。 本尊は厄除千手観音、別名千二百羅漢の寺。愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる。8世紀中頃、称徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建。平安時代初め... 続きをみる
香川県さぬき市津田町津田羽立峠に慈しみ深い母の面影をもつ【悲母観音菩薩】(ひぼかんのんぼさつ)があります。その前には実物大のレプリカ、「回天」が展示されています。「回天」とは、旧日本海軍が第二次世界大戦中に使った人間が操縦する魚雷の名称で『特攻』の1つであった人間魚雷。全長約15メートル、直径約1... 続きをみる
【津田の松原】 「日本の渚百選」にも選ばれた白砂青松の景勝地。紺碧の海、白い砂浜、緑輝く松林、県立公園に指定されたのち、瀬戸内海国立公園として重ねて指定を受けた「琴林公園」。江戸時代の初期に岩清水八幡宮の防風林として植えられたのが始まりとされています。白砂の浜と黒松林のコントラストが美しい景勝地で... 続きをみる
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。大同4年(809)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。また、本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。頭上に馬頭をいただく観音様で、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。 大同2年(807... 続きをみる
【磐船神社】(いわふねじんじゃ)大阪府交野市 交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。 本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。 神社の起... 続きをみる
【磐船神社】(いわふねじんじゃ)大阪府交野市 交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。 本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。 神社の起... 続きをみる
【阿吽寺】(あうんじ)奈良県御所市 由緒:このあたり一帯は、万葉に歌われた巨勢山である。平安時代に巨勢川が氾濫して、里民が非難に窮した時、阿吽法師なるものが来て、これを救済したので人民は、法師を崇めて玉椿精舎に請住せしめたという。玉椿精舎とは、巨勢寺のことでこれから阿吽寺の名が起り、巨勢寺の一子院... 続きをみる
【素盞嗚神社】(すさのおじんじゃ)奈良県生駒郡三郷町 奈良県生駒郡三郷町信貴南畑に鎮座する【素盞嗚神社】(すさのおじんじゃ)です。案内板がないので由緒等は不明です。境内は綺麗に掃除されていますので管理されているようです。 場所:「融通念仏宗禅入寺」(奈良県生駒郡三郷町信貴南畑1丁目4)の左横の細い... 続きをみる
【大山祇神社】(おおやまづみじんじゃ)奈良県生駒郡 大阪と奈良の県境の生駒山と信貴山の稜線を走る信貴生駒スカイライン沿いに【大山祇神社】(おおやまづみじんじゃ)が鎮座します。「大山祇大明神」を祀ります。由緒等は不明です。祠の中には、「大山祇大明神」と刻まれた標石があります。 場所:奈良県生駒郡三郷... 続きをみる
【法界地蔵尊】(ほうかいじぞうそん)奈良県生駒郡三郷町 由緒等詳細不明です。 場所:奈良県生駒郡三郷町立野北1丁目41
龍田大社近く、三郷町立野南一丁目に【金刀比羅宮・不動明王】があります。 金刀比羅とは蛟竜や鰐の意味で、般若経や王舎城の守護神ですが、明治以後、大物主神と同一視されました。海上交通や漁師を司る神様だそうです。「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれています。金刀比羅宮の総本社は香川県仲多度郡琴平町の象図山に... 続きをみる
【龍田大社】(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町立野南にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「龍田神社」。風の神(風神)として古くから信仰を集める。 祭神は天御柱命(あめのみはしらのみこと)国御柱命(くにのみはしらのみこと... 続きをみる
大阪府八尾市の 立石越ハイキング道登入口の奥に「平和山不動院」があります。書籍の「生駒の神々」で調べてみるとこの不動院について書かれていました。入口に「平和山不動院」と記された比較的新しい石柱があっています。奥に進むと、一見、民家と思われる施設が見えてきます。この建物の裏奥に水量が多く立派な瀧行場... 続きをみる
大阪府東大阪市の石切神社 上の宮(かみのみや)の正面の鳥居近くの坂道を少し歩くと、「白光大神」の鳥居が見えてきます。また、この鳥居の近くに看板があり、次のように書かれています。「石切 奥の院瀧」、「河内石切 白光大神本社」、「神道石切教会」、「石切高野山 波切不動尊」、「石切 水子地蔵尊」。書籍:... 続きをみる
大阪府東大阪市上四条に、朝鮮寺の「極楽寺」があります。この寺の横の山沿いに【大岩大神・榎木大神・春高大神】と彫られた石が鎮座しています。また、小さい社、石に彫られた不動明王、禊(みそぎ)をすると思われる場所があります。この場所の回りにはさらに多くの神様の名前が彫られた石があります。ここは神社なの... 続きをみる
【五劫院】(ごこういん)奈良市北御門町 【五劫院】(ごこういん)は、奈良県奈良市北御門町にある華厳宗の寺院。東大寺末。山号は思惟山。 重源(ちょうげん)上人が宋から請来したと伝えられる五劫思惟阿弥陀仏坐像(重文)がご本尊です。「劫」とは時間を表す言葉で、大きな岩に、3年に一度天女が舞い降りて袖で岩... 続きをみる