【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市
【念佛寺】(ねんぶつじ)大阪府八尾市
当寺は龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年、(一三四一)辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、宗門きっての古刹です。この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で、念佛勧進聖堂場として栄えていたのをのち、聖僧の盤龍が今の地域に定めて本堂を建てたと伝えられています。聖徳太子作と伝わる十一面観音菩薩・不動尊もお祀りしています。また、河内西国霊場第二番札所でもあります。
所在地 :大阪府八尾市久宝寺3丁目4-25
アクセス: JR「久宝寺」駅から徒歩約5分。道を挟んで向かいに「ふれあい館」があります。周辺の古い町並みの寺内町は観光スポットです。
「久宝寺と観音さん―久宝寺と云うお寺は、昔聖徳太子が物部守屋誅戮の祈願所として建立された四十六仏閣中の二十二番目の寺で、許麻神社の付近にあり、七大伽藍の大寺であったと伝えられています。 その久宝寺が、松永弾正の兵乱や慶長の兵火に罹り、再びそこに建ちませんでした。 久宝寺が戦乱で灰になる時、十一面観音像を寺僧が助け出し背負って、伊賀の国へ落ちていき、伊賀国の下津から、伊賀、近江の国々を流転されるうち、ある時、彼の地に旅する河内から来た旅人の夢まくらに立たれ、「河州久宝寺は我が里なり」とお告げになったと伝えられています。 時代が過ぎて、やがて、何とか久宝寺村へお迎えし、許麻神社の境内に小堂が建てられました。これが久宝寺観音院です。しかし、明治になり神仏分離令によって、久宝寺観音院は遂に廃寺の運命をたどりました。またもや観音像は、布施高井田の長栄寺に預けられ、久宝寺村から観音様の預け賃を、年貢米として長栄寺に支払われたと云います。 このように放浪ばかりを続けていた観音様ですが、明治も末の頃、村に流行病が出た時、再び観音様の夢を見る人がたくさん現れて、ぜひとも村でお祀りしなければならないということになり明治四十二年二月二十三日に、昔の久宝寺の末院と伝えられる、当念佛寺へお迎えして今日に至っています。久宝寺村の名前の発祥のもととなる久宝寺もご本尊十一面観音菩薩です。久宝寺村のシンボルです。」(出典:念佛寺『久宝寺と観音さん』説明板)
☟道を挟んで向かいに「ふれあい館」があります。
👇 すぐ近くに【顕証寺】(けんしょうじ)があります。